Text:Nobuya Yoshimura Photos:Yamaha
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モトGP990cc時代の5シーズンおける、YZR-M1の技術的進化を振り返る
2002年、モトGPが開幕した当時のヤマハは、30年間にわたって積み重ねてきた伝統的手法を守っていた。最初に投入したマシーンである2002年型YZR-M1が、YZR500に似たフレームに、単気筒のモトクロッサーを横に4つ並べたようなエンジンを搭載していたのも、その伝統の表れといえる。
YZR-M1 エンジン(2006)

YZR-M1 2006
理由はともあれ目標性能がライバルより低かったのは間違いない。出力も特性も異なるエンジンをYZR500ベースのフレームに積んだのにも、冒険をして失敗をするよりも、とりあえずここから始めれば大外れはないだろうといった消極的な姿勢が感じられた。

YZR-M1 2006
スタートでつまずいたヤマハは、急遽、排気量/吸入方式の変更とフレームの手直しをし、2004年には4バルブ/不等間隔爆発エンジンをロッシに託し、ライダータイトルを獲得したとはいえ、マシーンの性能は限界に達し、さらなる向上の余裕はなかった。

初代の2002年型から06年型に至るエンジンの変化を示すイラスト。3つのエンジン全体図は、左が2002または03年型、中が04年型、右が05または06年型と思われ、下の図は2002〜06年の主な変更点を示している。2002〜03年型が気筒あたり5バルブと等間隔燃焼の組み合わせだったのに対し、2004年型以降は4バルブと不等間隔燃焼の組み合わせを使用し、2005年型以降は背面カムギアトレインを採用する。ボア×ストロークの数値は公表されていない(どのメーカーも非公表)が、05年型で思い切ったボアの拡大/ストロークの短縮を図り、2006年型ではさらに少々ボアを拡大し、ストロークを短縮している。
そこで、創立50周年にあたる2005年には、熟成路線を捨てて、3年間にやりたくてもできなかったことを一気に盛り込んだ、まったくの新型車を完成させた。これは、800㏄マシーンの母体ともなった。

2005または06年型のエンジン右側面図を基にしたイラスト。2002〜04年型と同じく、クランク/バランサー/ミッションのメイン/ミッションのカウンターという4軸構成であるのは変わらないが、バランサー軸とミッションのメイン軸(この右端にプライマリードリブンギアとクラッチを装備)を思い切り上に上げることにより、クランク軸〜カウンター軸(この左端にドライブスプロケットをマウント)間の距離をさらに短縮している。これは、エンジン前後長を詰め、ホイールベースを伸ばすことなく、より長いスイングアームを使用するためであり、最終的な目的は、減速時の車体の安定性を高めることにある。

フレームの変化。左が2002年型、中が04年型、右が05または06年型と思われ、エンジンハンガー部の強化、クロスメンバーの廃止(2005年型以降は、この部分でクランクケース後端を挟み込む構造)などがわかる。これらの変更で、2005年型は、04年型と比べて捻り剛性が8%、縦剛性が2%高くなっているが、横剛性は20%も低くなっている。

吸入効率アップを狙い、2005年型以降はステアリングヘッドパイプの両脇に大きな貫通穴を設け、開口部からの空気を直線的に導く。

2006年型のリアサスペンションまわりは、各パーツのレイアウトは2005年型と同じだが、リアショックのマウント部を強化している。

フライバイワイア方式のスロットルバルブ制御は、2006年型になって見直しを受けた。左側2気筒はスロットルグリップによる直接開閉だが、右側2気筒は電子制御でグリップ全開時の開度を規制(1速で最大/5速で最小/6速は規制なし)して低いギアでの出力を抑える他、ブレーキング時の強烈なエンジンブレーキの低減にも利用している。4気筒のうち半分の燃焼圧力を小さくすれば、出力が抑制されるだけでなく、1サイクル(クランク2回転中)のトルクの変化率をより大きくすることができるはずで、これが不等間隔燃焼によるトラクション向上効果をさらに高めているのではないかと想像できる。

2005年型でボアを広げストロークを短縮した後、2006年型でもさらに(2004→05年型ほど大きくないと思われる)ボア拡大/ストローク短縮を図った結果、より高回転/高出力型のエンジンに変化している。

外装パーツ集合の図。タンク以外はすべて強化樹脂製だが、場所によってファイバーを使い分け、必要な強度と剛性を確保。アルミのフューエルタンクは、底部のポンプ込みで3.5㎏少々の軽さである。
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