過去があるから現在はある。いま、この世に存在しているモデルたちは名車の魂を脈々と受け継いで、成り立っている。古いオートバイを、忘れてはならない。いま乗れる、奇跡の絶版モデルがある。

※この記事は月刊オートバイ2011年8月号別冊付録を加筆、修正、写真変更などの再編集を施しており、一部に当時の記述をそのまま生かしてある部分があります。

1960年代末、ついに世界の頂点に立った日本車。その先駆が、CBナナハンだった!

画像: HONDA CB750Four (K0) 総排気量:736cc 発売年:1969年5月 当時の価格:38万5000円

HONDA CB750Four (K0)
総排気量:736cc 
発売年:1969年5月
当時の価格:38万5000円

今で言えば、突然、V型8気筒3000㏄、300馬力、最高速度400㎞/hの市販車が姿を現わしたようなものだろう。それほどCB750フォアの登場は衝撃的だった。

読み方は、シービー「ナナハン」。

1969年、昭和で言えば44年。当時の国産ビッグバイクといえばCB450や2ストロークのスズキT500、カワサキ650W1といったモデルがせいぜいで、日本中のあちこちに未舗装路が残る、まだヘルメット着用義務もない時代に、最高速度200㎞/hを謳う、聞いたこともない排気量のスーパーバイクが登場したのだ。もちろん、ナナハンという言葉も、CBが生み出したものだ。

CB750フォアが初公開されたのは、東京・晴海で行われた68年の東京モーターショー。しかし、会期中150万人を動員した会場に、もうひとつの衝撃が待っていた。それが黒いイナズマ、カワサキ500SS・マッハⅢだ。

アメリカ市場の要請で、世界最速をハッキリとターゲットにしたマッハは「4ストローク6気筒なみのスムーズさを実現!」と大書きしたコピーでショー会場に展示された。2ストローク3気筒500㏄、未来の設計が生んだ疾走車、とカワサキがアピールするマッハは、現在の目で見ても十分にセンセーショナルだが、やはりナナハンの衝撃の前にかすんでしまった。

画像: 1960年代末、ついに世界の頂点に立った日本車。その先駆が、CBナナハンだった!

ホンダの創始者である故・本田宗一郎氏が「こんなデカいバイク、だれが乗るんだ」と驚嘆したというナナハンは、サイズ、装備、そして圧倒的な存在感が、すべてスーパーだった。市販モデル初の並列4気筒エンジン、ショー展示の前日に採用が決まったという初めてのディスクブレーキ、ホンダGPマシンのイメージそのままの4キャブ4本マフラー。ナナハンの登場で、日本のオートバイ史が大きく変わろうとしていったのだ。

ナナハン登場の年に東名自動車道が開通したように、道路や環境インフラは徐々に整備がされ始めたばかり。オートバイの事故も多発し、72年にはヘルメット着用義務、75年には401㏄以上のオートバイには、新たに「大型二輪免許」が必要になった。オートバイは危ない、ナナハンは暴走族ーー世間がそう言うほど、ナナハンは社会現象にまでなっていった。良くも悪くも、ナナハンが日本のオートバイ文化の扉を力強く開け放ったのだ。

「ナナハン」に乗れば、紛れもなくヒーローだった

画像: 「ナナハン」に乗れば、紛れもなくヒーローだった

世界に目を向けても、CB750フォアの功績は衝撃的だった。当時、世界のマーケットをリードしていたのは、トライアンフ、BSA、ノートンといった英国車勢だったが、ここに真っ先にチャレンジしたのが、CB750フォア以前のホンダ最大排気量モデル、CB450だった。650㏄ツインを打倒するならDOHCツインの450㏄で十分、と考えたホンダの世界戦略車だったものの、走行性能で英国車を越えながら、今ひとつ販売がふるわずにいた。

この反省を踏まえて開発されたのが、CB750フォアだったのである。トライアンフの650を、より小さい排気量で打倒するよりも、その排気量さえ越えてしまう新型モデル。ナナハンという排気量は、ノートン・アトラスが先駆だったものの、市販車初の4気筒モデルは、アッという間に世界を席巻。アメリカに限らず、ヨーロッパ、それに日本でも爆発的に売れまくった。

ホンダのシンボルとして最高のものを作れ、との宗一郎氏の厳命もあって、CB750フォアは大量生産など考えず、ホンダの技術をフルに注いだモデルだった。有名なのが、設備投資が少なく済み、少量生産に向いた砂型鋳造で作られたクランクケースだが、これも初期注文のあまりの多さに急遽設計変更を迫られ、量産のできる金型鋳造としたほどだった。

高性能イメージを高めるためにも、ホンダはレースにも積極的に進出していった。69年8月の鈴鹿10時間耐久レース、9月のフランス・ボルドール24時間耐久レース、70年3月のアメリカ・デイトナ200マイルレース。

CB750フォアはそのすべてに優勝するという快挙を成し遂げ、高性能イメージをアピールし、ひいてはホンダのスポーツバイクの、そして日本製オートバイのクオリティを世界中にアピールすることに成功したのだ。

ナナハンを追うように各メーカーのビッグバイクも4ストローク化、マルチエンジン化の道をたどり、カワサキZ、スズキGSといった日本製オートバイが世界を席巻。それもすべて、CB750フォアの誕生なくしてはありえなかった。すべては、ここから始まったのだ。

「ナナハン」、それは排気量を表す言葉ではなく、CB750フォアそのものを表す言葉だった。兄貴たちは口々に、尊敬の意をこめて、CB750フォアをそう呼んだ。まぎれもなく、「ナナハン」に乗っていればヒーローだった。

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