※この記事は「東本昌平RIDE92」、月刊オートバイ1998年3月号、2000年2月号、2002年5月号、2004年4月号、2007年2月号、2009年8月号、2012年2月号/ 5月号を加筆、修正、写真変更などの再編集を施しており、一部に当時の記述をそのまま生かしてある部分があります。
文:中村浩史、宮崎敬一郎、オートバイ編集部/写真:赤松 孝、小平 寛、瀬谷正弘、永元秀和、南 孝幸、山口真利、森山俊一
ヤマハ「YZF-R1」(1998・4XV)開発秘話
ヤマハ初のリッター・スーパースポーツ。初代R1のコンセプトは「ツイスティロード最速」
1990年代、ヤマハには750ccを超えるスーパースポーツはラインアップされていなかった。FZR1000やYZF1000Rサンダーエースがヤマハ・スポーツモデルのフラッグシップではあったが、FZRは大柄な車体でタンデムを重視したシートも備え、安定志向のハンドリングというジェントルなスポーツツアラー。
サンダーエースはクランクマスを22%軽量化し、最高出力も145PSにまでパワーアップしてスペック上はより過激になったが、車重は198kgと平均的で、こちらも高速スポーツツアラーという位置づけだった。
その頃のスーパースポーツの代表格と言えば、ホンダCBR900RRやカワサキZX-9Rの900ccモデル。CBR900RRは600ccクラスの軽量な車体に多くのライダーが楽しめる最高出力をコンセプトに登場し、そのハンドリングが世界中で絶賛され、スーパースポーツの代名詞的存在になっていた。
このCBRに、ツーリングでの快適性を盛り込んだサンダーエースは人気面や販売面で敗北。ヤマハはCBRと同じ土俵で勝負することを決意する。
単なる後追いのスーパースポーツではなく、さらなる魅力として「ハンドリングのヤマハ」を強烈にアピールすることも盛り込まれた。コンセプトが異なるサンダーエースの後継機ではないYZF-R1の開発は、排気量もエンジン形式も決めずに1996年にスタート。
目標は「スーパースポーツの頂点を取る」こと。開発スタッフの合い言葉は「乗ってエキサイトメントを感じる」こと。
そのために選ばれたのは並列4気筒の1000ccエンジン。小型化と太い低速トルク、高回転域での振動の少なさが選択の理由であり、優れた操作性の実現には必要不可欠だった。
ホイールベースはより短く、スイングアームはより長く、という相反する目標を実現するために、クランク1軸とミッション2軸を水平に並べず、GPマシンと同じ3軸にレイアウト。これでエンジン前後長は短縮され、ホイールベース1395mmに対して42%にあたるホイールベース582mmという長さを確保。
YZF-R1は1997年9月、イタリア・ミラノショーでベールを脱ぐ。エンジンの小型化のためにバルブ径や吸排気ポートのスロート径を小さくしながらも、サンダーエースを上回る150PSを達成し、車両重量は驚異の177kgを実現。
その数値はライバルCBR900RR(SC33)をパワーで22PS上回り、車重では逆に6kg軽いというものだった。だが、R1の目標は、単純にスペックで上回ることではなかった…。