まとめ:RIDE編集部
ヤマハ「FZR750R」1989年
FZRの頂点にふさわしいクオリティとポテンシャル
創業以来2ストマシンでレースを戦ってきたヤマハが、本格的に4ストマシンでレースに参戦するようになったのは1980年代半ばのこと。鈴鹿8耐で1985年のK・ロバーツ/平忠彦組のFZR750で惜敗したことでTT-F1マシンの開発に一層力を注ぐようになり、1987年・1988年にはYZF750でホンダを破って連覇を達成するまでになる。
そうやって蓄積された大排気量4ストマシンに関する技術、経験を元に、1987年に登場して大人気となったRVF直系の市販レースベース車・RC30の対抗馬として開発され、1988年に満を持して発売されたのがFZR750Rだ。
FZR750Rも開発コード「OW01」という別名が与えられたことからして、RC30を意識していたことがよく分かる。その目的もRC30と同じく、スーパーバイク世界選手権をはじめとするプロダクションレースのベースマシンとして高い戦闘力を発揮すること。そしてその開発にも、ワークスマシン・YZF750直系のテクノロジーを投入。
新設計エンジンにRC30と同じく2本リングピストン、チタンコンロッドを使用するなど、車体から装備類などにいたるまで、街乗りを考えないでレースのために妥協を廃した徹底した造り込みで、FZRシリーズの頂点にふさわしいクオリティとポテンシャルを実現。価格はRC30を上回る200万円だったが、限定500台が即完売したという。
ホンダ「RVF/RC45」1994年
RC30の跡を継ぐハイグレードな750ccV4スポーツ
1987年にデビューしたVFR750R(RC30)は長年レースでもプライベーターに愛されたが、年を重ねるごとに進化を続けるライバルたちの前に苦戦を強いられた。そしてホンダも1994年、RC30の後を継ぐレース用ベースモデルとしてRVF/RC45を7年ぶりに登場させた。
このRC45は、レースの最前線で進化を続けたワークスマシン・RVF750で培われた技術をもとに開発が進められた。パワーの源であるV4エンジンは、カムギアトレーンの配置を従来の中央から右端に変更するなど設計を全面的に改め、高剛性化とフリクションロスの低減を実現。
大気圧や水温、アクセル開度、吸気負圧、回転数など7つのセンサーの情報を瞬時に処理し、最適な燃調を実現する電子制御の燃料噴射装置(PGM-FI)や大口径の4連スロットルやPGMイグニションを組み合わせて、低回転から高回転まで力強い特性を得ている。
アルミツインチューブフレームは、最適なフレーム剛性と軽量化を両立させ、高剛性の倒立フォークやプロアームを組み合わせて良好なハンドリングを実現。レースでの高い戦闘力を備えるだけでなく、優れた趣味性を備えるハイグレードなスーパースポーツとして完成。日本国内では500台の限定販売だった。
スズキ「GSX-R750R」1989年
ワークス同等のアルミフレーム。限定500台の“R”
1988年のフルモデルチェンジで2代目となったGSX-R750。外装のデザインが変わっただけでなく、前後17インチ、放熱量を大きく向上させたオイルクーラー、4in2マフラーなどを採用。エンジンはオイルの流速を20%向上し、ショートストローク化。ホイールベースは50mmも短くなり、ほぼレーサーと同等のフレームを投入するなど、全面刷新となった。
その翌年に500台限定で登場したのが、GSX-R750Rだ。当時ホンダからはRC30、ヤマハからはOW01が発売されており、それに続くTT-F1ワークスレーサーと同等のスペックや共通部品を採用し発売されたモデルだった。
モデルチェンジでショートストローク化されたエンジンは、レースでのマイナスデータを払拭するため、初代と同じボアストローク比のエンジンを新たに作り搭載。ピストンやコンロッド、クランクなども全て新たに専用品を投入した。
フレームはロングストローク化に伴い、GSX-R1100のステアリングヘッドを採用し、メインフレームには45mm×45mmの大型パイプを採用。ワークスマシンと同等の剛性を手に入れている。
まとめ:RIDE編集部