文:中村浩史/写真:折原弘之
トライアンフ「ボンネビルT100」インプレ
高性能は国産モデルで外国車はありがたい舶来品
昔はハーレー1台で家が建った。まことしやかに、そう言われることがある。この場合の昔っていうのは、たとえば大正の時代だとしよう。
第一次大戦突入前の1910年代はじめ、大正2年のハーレー・ダビッドソン1200ccの価格は850円だった、との記述が「日本モーターサイクル史」(八重洲出版)にある。
明治20年頃の都心の家の価格は、約20坪で1050円、と国会図書館のデータベースにあるから、時期を補正すれば、「ハーレー1台で家が建つ」は、そう荒唐無稽な話ではない。
昭和5年に芝浦製作所(現在の東芝)が発売した日本初の冷蔵庫が720円で「当時としては小さな家が一軒建つ」と東芝企業史に記載されているから、そう遠い話でもないのだろうと思う。
外国車が一般的になり始め、日本にも大排気量車が定着した1970年代で比較してみる。比較対象は当時のキング・英国車「トライアンフ」だ。
1969年発売のホンダCBナナハンが、発売当時価格38万5000円。一方1970年のトライアンフT120は現地価格約420ポンド、当時の1ポンドは864円固定なので約37万円――うん、辻褄が合う。当時の日本代理店で57万円で発売していたモデルで、この両車の価格は、ナナハンが最先端の超高性能モデル、一方のT120は登場10年を経過した定番モデル。トライアンフの最高峰T120Rボンネビルは現地価格で約1.5倍。日本での価格資料はないが、T120のレートでいえば55万円ほどだ。
38万5000円のナナハンと55万円のボンネビル。当時の経済世相や関税の関係もあるだろうけれど、価格差1.4倍。外国車=高価というイメージは、この頃からずっとあったのだ。単に輸入品のことを指す「舶来品」という言葉が「高級品」というイメージを持っているのも同じ意味だ。
翻ってオートバイの世界では、外国車は「高性能」のイメージだった。それを日本車の性能が逆転するのも、この1970年代のことだろうけれど、それでも外国車はひとつの特徴を持ち続けている。それは「ブレない」こと。
ハーレーは水冷になっても、今でもVツインエンジンを作り続け、BMWではOHVボクサーツインのエンジン解析開発が続き、現代のモトグッツィのエンジンパーツは、1970年代のモデルに使用できるものがある。
そしてトライアンフは、いつまでも1970年代の匂いを持ち続ける――。
再出発トライアンフの原動力は「新生」ボンネビルだった
日本車には「顔」がないとは、古くから言われる言葉だ。特に1970~80年代には、どのバイクもエンブレムを隠してみたら、どこのメーカーのモデルなのかわからない、と。空冷4気筒エンジンにパイプフレーム+2本サス時代、フルカウル、アルミフレーム、トリプルディスクに3本スポーク、そんなレーサーレプリカ時代も確かにあった。
対してその頃の外国車は、エンジンを見ればどこのモデルだかわかる、と言われたものだ。空冷Vツインはハーレー・ダビッドソンの代名詞だし、BMWはボクサーツイン、ドゥカティはLツインエンジンや世界の一級品を使ったローリングシャーシで、シリンダーが斜め上に向かって左右対称に出っ張っているのはモトグッツィだ。
もちろん、時代が変わりゆく中、すべてのモデルがそうではない。今ではハーレーも水冷エンジンやアドベンチャーモデルを持っているし、BMWにはアルミフレーム+フルカウルのスーパースポーツがある。ドゥカティにはスクランブラーもあるし、モトグッツィだって、デュアルヘッドライトのアドベンチャーをラインアップする。
そしてトライアンフは、その「顔」を取り戻しつつある。トライアンフといえば、1906年にオートバイの生産を始め、1960年代には世界ナンバー1のメーカーとも呼ばれたが、日本車の隆盛もあって1970年代終わりには操業を停止、倒産の憂き目にあっていたが、1990年に新体制で再出発、今に至るブランドである。
新生トライアンフは、水冷3気筒エンジンやスパインフレームを採用した新しいスポーツバイクメーカーとして再出発したものの、その業績は上向かず、息を吹き返すのは2000年代に入ってから。きっかけは、新生「ボンネビル」の登場だった。
空冷バーチカルツインをパイプフレームに搭載し、独立したタンク、シートを持つレトロルックなオートバイ。1960年代の名車のネーミングを受け継ぎ、DOHC4バルブエンジンを持ちながら、高性能すぎない、新しすぎないオートバイであり「続けた」。
もちろん、ネイキッドモデルを中心に、国産モデルだって往時のスタイリングを持つモデルを復活させた時期があった。けれど、多くは高性能へ走り、新しさを持ちすぎ、相次ぐ規制や生産ライン統合を理由にラインアップを止めてしまう。今ある「あの頃」のオートバイといえばカワサキW800とメグロK3、それにホンダGB350のみだ。
旧そうに見えて新しい、遅そうに見えて速いという個性
トライアンフは、特に日本マーケットで、ボンネビル登場とともに人気が急上昇してきたと言っていい。SRでもWでも味わえない本物のクラシックは、キャブレターをインジェクションにしても、空冷エンジンから水冷となっても変わらない、トライアンフだけが持ち続ける「味」だ。
現行モデルのボンネビルはT100とT120。いつまでたっても最新モデルっぽさを感じさせないスタイリングは、まったくオートバイを知らない人が見たら「かっこいいバイクだね」と言うだろうし、少しオートバイを知っている人は「懐かしいね、トライアンフか」と言うだろう。2020年代に見るナナハンやZと同じなのだ。
実際に乗っても、トライアンフはいつまでもトライアンフだ。空冷+キャブレターだと思い込んで乗っていても、現在のボンネビルは水冷+インジェクションだし、それでも乗り味はいくらか薄まったとはいえ、空冷+キャブレターのフィーリングに近い。知らない人が乗ったら「やっぱりイイね、空冷とキャブは」と言うことだろう。
乗り味が鷹揚なのは、フロント18/リア17インチというホイールサイズのせいもあるだろう。この組み合わせは、加速も減速も、コーナリングさえもフロント荷重だけに頼らない、リアタイヤに乗っているようなフィーリングを感じさせてくれる。細かいことは分からないけど、なんか乗り味が昔っぽいね、と思うのはここが原因のひとつなのだ。
ハンドリングはどっしりとした手応えがあって、2000回転まではドコドコドコ、4000回転まではスルスルスル、そして4000回転以上はビートあるトルクを感じさせる水冷バーチカルツイン。ミッションは今どき5速で、5速で50km/hで走ってみると、回転数は1500回転ほど。このエリアの力が気持ちいい。
本当は「あの頃」のボンネビルはもっと細く軽くシャキシャキ走り、爆発力の強いエンジンフィーリングで世界最速を競っていたんだけれど、2000年代の解釈では、これでいいのだ。
W800とほぼ同じ重量ながら、体感ではもっと重く感じるボンネビル。のんびり走っていても、アクセルを大きく開けると俊敏な動きも味わえるけれど、そんな気にならないのが正しい。
新しい水冷なのに旧い空冷に見える。遅そうなのに速くも走れる、これがボンネビルのブレない個性なのだ。