チャンピオンは決定! 次の興味は……

この週末はいよいよ全日本ロードレース最終戦。第54回MFJグランプリが鈴鹿サーキットで行なわれます。前戦・岡山大会が9月17-18日でしたから、空きましたよね、1カ月半も! スポーツの秋、その一番いい季節の10月にレースがないの、なんだかなぁ、って感じですが。
全日本ロードレースは、その岡山大会ですでにJSB1000クラスのチャンピオンが決定しています。ヤマハファクトリーレーシング・中須賀克行、6戦10レース全勝チャンピオン! 最終戦(JSBクラスは3レースやります)に2年連続全勝がかかります。

ここまで10レースを終えてのランキングも出ていて、それが下のとおり。
①中須賀克行 ヤマハファクトリーレーシング
②渡辺一樹  ヨシムラスズキRIDE WIN
③岡本裕生  ヤマハファクトリーレーシング
④作本輝介  Astemo ホンダドリームSI Racing
⑤濱原颯道  ホンダドリーム桜井ホンダ
⑥亀井雄大  ホンダ鈴鹿レーシング
⑦岩田 悟   Team ATJ
⑧榎戸育寛  SDGホンダレーシング
⑨関口太郎  SANMEIチームTAROプラスワン
⑩柳川 明   KRP 三陽工業RSイトウ

このあと、今シーズン負傷のため満足に走れていないSDGホンダレーシングの名越哲平がランキング11位に続き、ランキング12位にチームKODAMAの児玉勇太が続きます。
お気づきでしょうか、上のランキング11傑は、ほぼすべてチーム母体やメーカーのサポートを受けているチームで、関口がまったくの純プライベーターという位置づけ。その純プライベーターのくくりに入る児玉と、話をする機会がありました。

画像: ブルーが鮮やかなTeamKODAMAのYZF-R1 黄色ゼッケンはランキング11位以下の証だ 目指すはランキング10位以内の赤ゼッケン

ブルーが鮮やかなTeamKODAMAのYZF-R1 黄色ゼッケンはランキング11位以下の証だ 目指すはランキング10位以内の赤ゼッケン

児玉は2018年、自らのチーム「チームKODAMA」を立ち上げました。バイクショップやレーシングカンパニーを母体に持たない、純プライベートチームです。
「それまでの全日本は、2007年にDDボーイズさんからデビューしてST600→JSB1000に乗って、しばらく参戦を休止していたんですが、2015年からTRASさん、17年にTONE SYNCEDGEさん<https://www.tonetool.co.jp/race>にお世話になってBMW S1000RRに乗ってました。ただ、BMWに乗り始めた頃にもう30歳になるところで、そろそろ自分の力でやってみたいな、自分ができるレースをしてみたいな、って思ったのがチーム設立のきっかけでした」(児玉)

TONEに所属しての17年シーズンが終わり、年末恒例の鈴鹿サンデーロードレース最終戦NGK杯に、児玉はAGRAS<www.agras.co.jp>のサポートで参戦。マシンはS1000RRではなく、ヤマハYZF-R1でした。
「自分でやってみよう、それなら地方選からだな、と思って、YZF-R1を買ってレーサーに仕上げて出たんです。結果は表彰台に上がれて3位。まわりのみんなは、僕が自分のチームを作って出たのを知っていて『それなら全日本やればいいじゃん』って勧めてくれて。できるのかな、いややってみたいな、ってスタートでしたね」

画像: 86年2月生まれの児玉 今年36歳、もうベテランライダーの域だ

86年2月生まれの児玉 今年36歳、もうベテランライダーの域だ

はじめは自分のチームで8耐に出てみたい、というスタートだったと言います。けれど現代の8耐は、全日本を戦いながらではないと、とてもレースにならない厳しい戦い。自分のチームでやりたい、でもできるのか、やるならやる、やらないならスパッと辞める、でもレースから離れたくはない――という岐路にずっと立っての活動スタート。
自分のチームでシリーズを年間で転戦する大変さもわかっていたし、それに対する準備だってゼロからのスタートだった。それでも児玉は「やりたい」の気持ちを優先させたのです。
「できる範囲で、背伸びしないでやろう、って決めたんです。体制も作らなきゃいけないし、大きなスポンサーもないから資金もたいへん。レースの時には手伝いに来てくれるスタッフがいますが、マシンの準備は僕ひとりでやってます。自分ちの倉庫でね(笑)。今まではライダーとして、テストやレース本番に、チームが準備してくれた体制に合流すればよかった。恵まれてたんですね」

画像: 開幕戦は不出場、続く鈴鹿大会は2レースともノーポイントという22年のスタートだった

開幕戦は不出場、続く鈴鹿大会は2レースともノーポイントという22年のスタートだった

Team KODAMAとして参戦した初戦、18年開幕戦のもてぎ大会では、レース1:15位/レース2:24位。ホームコースのひとつといえるオートポリス大会ではシーズン最高位の10位フィニッシュを果たしましたが、12レース中3レースでしかポイントを獲得できず、ランキングは25位。翌19年はランキング30位、20年に13位、21年は12位。少しずつ、自らのチームが経験値をつけていきました。
「予想していましたが、甘くはなかったですね。18年シーズンなんてミニバイクレースのチームみたいな規模で、年間やっていくうちに少しずつ慣れてくるだろうと思ったけど、楽にはなりませんでした。もう、何もかも大変。目標にしていた8耐も、19年に初めて出て、予選38番手/決勝は24位。けれどこのレースに、僕は予選でケガして決勝レースを走っていないんです」

そして迎えた22年シーズン、開幕戦・もてぎ大会では予選で転倒してドクターストップ、第2戦鈴鹿は2レースともポイント外というスタートでしたが、オートポリス大会を両レース12位でまとめると、菅生大会は10位/11位。じりじりとですが、結果も上向きなシーズンとなりはじめました。レース展開を見ていても、21年シーズンまでよりも、いつも走っているポジションが、3~5台とか、前の方を走っている感じです。
「バイクが仕上がってきたのは大きいですね。相変わらず僕が自分で整備しているマシンですが、R1で走る5シーズン目ってことで、速いマシンが出来上がってきた。まだ目立つリザルトじゃないけど、去年までよりは少し前の方を走れている感じだし、レースタイムも上向いています」

画像: 黄色ゼッケンじゃない50番が22年の8耐マシン 9位フィニッシュは誇るべき結果だ

黄色ゼッケンじゃない50番が22年の8耐マシン 9位フィニッシュは誇るべき結果だ

そして迎えた2回目の8耐は、当初チームを組む予定だったライダーが出場できなくなり、急きょ健吾/健史の長尾兄弟とチームを組むことになります。長尾兄弟はST600ライダーですが、同じブリヂストンタイヤユーザーであり、事前テストを走ってもらって、ほぼ初乗りだったふたりに好感触があっての起用でした。
「普段はほとんど交流もないし、ふたりとは10歳以上離れてるけど、なんか存在が自然なんですね、ふたりとも。これくらい若いライダーと一緒にレースするのは初めてで、まぁ予選直前までふたりでワイワイ騒いでて、うるせーなぁ、って思ったことはあったけど(笑)、テスト、レースを通じてうまく進められました。全日本でマシンが上手く仕上がっていたので、基本はそこをベースに、あんまり仕様を変えたりせずに走り出して、3人ともイイ感じで走れたんです」

Team KODAMAの8耐は、スタートライダーのエース児玉が、予選15番手から好スタートを見せ、逃げるトップグループを追うセカンドグループにつける展開。一時は8番手まで上昇し、その後もずっと好位置をキープします。長尾健史&健吾も好ペースをキープし、つねにトップ10圏内を走り、終わってみればなんと9位入賞! 
レース中一度、ピット作業の手順違反でライドスルーペナルティを取られ、レースの最後に児玉から健吾へバトンを渡した時にペースカーが介入、ピットロードで足止めを食らって、8番手を走りながら10番手まで順位を落としたものの、ラスト2周で抜き返しての9位でした。

画像: 序盤2戦4レースのノーポイントが悔やまれるものの、他レースでは全戦ポイントを獲得している

序盤2戦4レースのノーポイントが悔やまれるものの、他レースでは全戦ポイントを獲得している

1位から8位まで、ワークスチームやメーカーサポートのチームが居並ぶ中、世界耐久チャンピオンチームのTSRホンダを抑えての9位フィニッシュは大健闘、いや快挙といっていい順位です。
「すごく上手くいった、っていうのと、ラストのあれがなければなぁ、って気持ちでした。今年の8耐はHRCが逃げてカワサキワークスが追って、ヨシムラが3位入賞。4位に生形さんのエスパルス、5位がTOHOレーシング、6位が桜井ホンダでしたから、このへんまでとは戦えたなぁ、って感じでした。無欲の結果というか、長尾兄弟も淡々とよく頑張ってくれたし、すごく耐久レースらしい走りができた。もう1回やれ、って言われても出来ませんよ(笑)。そんなレースでした」

8耐が終わってから、児玉は再び全日本モードへ。オートポリス→岡山大会とポイントを獲得し、冒頭に書いたように10レースを終わってランキング12位につけています。ちなみに、鈴鹿8耐でペアとして戦ってくれた長尾健吾は、岡山大会で今シーズン初優勝。8耐で1000ccマシンに長時間付き合ったことと無関係ではないでしょう。そして今週末、児玉は最終戦を迎えるのです。
「4月の鈴鹿ではノーポイントに終わってしまいましたが、8耐でうまく走れたイメージを生かしていい走りがしたいです。たくさんのひとの協力をもらって、相変わらずひとりで細々とやってるTeam KODAMAですが、九州の最南端・宮崎から全日本選手権というバイクのロードレース最高峰を走っているライダーがいるんだ、ってことを少しでも知って欲しいです」

画像: 背伸びせず、自分のできることを--宮崎のみんなに、日本の最高峰レースを走っているのを知らせたい

背伸びせず、自分のできることを--宮崎のみんなに、日本の最高峰レースを走っているのを知らせたい

20年からランキング13位、12位ときて、22年シーズンはランキングTOP10も目前。どんどんセミプロ化している全日本ロードレースの中で、数少ない純粋なプライベートチームがどこまで上位に食い込んでいけるか――こんな見方をするのも面白いものです。

2022 全日本ロードレース最終戦 MFJグランプリ
開催クラス JP250/J-GP3/ST600/ST1000/JSB1000×3レース

11/5(土曜)
 公式予選  JP250→J-GP3→JSB1000→ST600→ST1000
 決勝レース 13:35~ JSB1000 レース1 20周
       15:20~ JP250 8周
11/6(日曜)
 ウォームアップ走行 J-GP3→JSB1000→ST600→ST1000
 決勝レース 09:50~ J-GP3 13周
       11:20~ JSB1000 レース2 12周
       13:10~ ST600 13周
       14:15~ ST1000 12周
       15:20~ JSB1000 レース3 15周

写真・文責/中村浩史

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