1980年代中盤、日本のオートバイマーケットに「レーサーレプリカ」ブームが吹き荒れていた。
アルミフレーム、フルカウルでなければオートバイに非ずライバルたちより1kgでも1gでも軽く
レース結果も市販車の販売台数に直結していたような――。もう35年も前、日本にはそんな恐竜がうようよと棲みついていたのだ。
文:中村浩史/写真:富樫秀明
画像2: ヤマハ「FZR750」歴史解説・インプレ(中村浩史)

35余年前のFZRに見る現在に通じるもの、通じないもの

そのFZR750の走りは、現代の目で見ると、とてもスーパースポーツと呼べるものではない。とはいえそれは誉め言葉で、とてもライダーフレンドリーな好ましいスポーツバイク。誰にでも扱えて、思い通りにバイクをコントロール出来る、そんなスポーツ性だ。

エンジンは、回転が上がるごとに力を増すキャブレター特有のもので、当時の最新技術である5バルブや、エアボックスまわりに走行新気を導入するFAIの効力も感じることなく、ごく普通のパワー特性。

もちろん、発売から35年以上も経った、走行5万kmのオーナー車だから、よく整備されているコンディションとはいえ、新車当時の77PSというパワー感など望むべくもない。

アクセルに対するピックアップは俊敏すぎず、オーナー車ということで、高回転までは回さなかったが、それでも5500回転を越えたあたりからグンと力が増す、パワーバンド的なものも確認できた。

これが現代のYZF-R1ともなると、パワーバンドと呼べるエリアなどない全域パワフルエンジンなので、このFZRの出力特性がなつかしい。もちろん、今では知っている人も少ない「速度警告灯」を光らせて制限速度を超える走りなんてアッという間だ。おそらく150km/h巡行も快適な、きちんと速いナナハンだろう。

それでも、今に通じるハンドリングもしっかり確認できた。この時期のレーサーレプリカ世代は、日本のスポーツバイクが前後17インチホイールに収まっていく時期で、このFZRとRC30が前17/後18インチ、ZXRは前17/16インチ、GSX-Rは前後18インチを装着している。この中からGSX-Rは1988年、ヤマハは1989年のOW01、ホンダは1990年のVFR750F、ZXRも1990年から前後17インチホイールを採用しているのだ。

今回の撮影車は前17/後18インチながら、タイヤを現代もののツーリングタイヤ(ブリヂストン・バトラックスT32)を履いていて、それが現代にも通じる自然でクセのないハンドリングを生んでいるのだろう。タイヤの進化は、時代を超えて素直なハンドリングを可能にするのだ。

画像3: ヤマハ「FZR750」歴史解説・インプレ(中村浩史)

収まりのいいサイズのちょうどいいスポーツバイクの未来

コーナーでもヒラリヒラリとは言わないまでも、安定性がしっかりある、素直で軽快なハンドリングのFZR750。これを現代のハンドリングのテイストに仕上げるには、最初に書いた車体姿勢にヒントがある。

驚くほど足つきのいい低い着座位置を見直し、現在の800mm超えのシート高とすれば、現代のフィーリングに近づくはずなのだ。もちろん、そんなに簡単に変化するわけではないが、つまりこの35年以上前のセオリーは、現在の事情とは全く違う、ということ。YZF-R1のようなロングスイングアーム、太いリム幅のホイールとリアタイヤを履かせ、当時の市販タイヤでは望むべくもなかったハイグリップのタイヤが合わさって初めて、現在のハンドリングに近づくのだと思う。それが、この35余年の車体設計の進化なのだ。

これは実は、兄弟モデルの1000となると、もっと強大なトルク、大パワーで、高速巡行のツーリングバイクに振った性格だったことを覚えている。これはGSX-Rにも言えることで、海外仕様のオーバーナナハンはツーリングバイク、国内仕様の750はスポーツバイクに振った性格付けがされていた。FZRは、現代のモデルで言うならば、車格の大きい600ccスポーツツーリングバイク、というポジションに収まるのかもしれない。

とはいえ、このFZRも充分に現代の交通事情で生きていく可能性を持ったバイクなのだろうと思う。もちろん、35余年前のトップスポーツというわけにはいかないが、スポーツに振ったビッグバイクとして、だ。

画像4: ヤマハ「FZR750」歴史解説・インプレ(中村浩史)

日本のスポーツバイク、特に大排気量車は、このFZRの時期を境に一足飛びに進化したといっていい。スズキはGSX-Rシリーズ、ホンダはRC30、カワサキはZXRを境に、それ以前と以降に大きく分かれるのだ。

それは水冷高出力エンジンやアルミフレームの実用化だったり、ラジアルタイヤの標準装備だったり、カウルによるウィンドプロテクション技術が進んだからだろう。考えてみればこの時期から現在にかけての国産車の技術的ブレイクスルーは、電子制御技術だけなのかもしれない。エンジン設計だって車体設計だって、使用するパーツや材料が変わっただけで、FZRの頃から大きく変わってはいないのだから。

足つきのいい、素直なハンドリングで充分に力のあるエンジン。そんなスポーツバイクは、現在でいえばMT-07・MT-09ファミリーやYZF-R7、海外で発表されたCB750ホーネットやGSX-8Sあたりだろうか。

いま35余年も昔のFZRやGSX-Rという「恐竜たち」を褒め持ち上げるつもりもないけれど、誰にでも乗れるビッグバイクとして、決してなくなってはならないカテゴリーだ。

ヤマハ「FZR750」ヒストリー

FZR750(2LM)1987年

画像: FZR750(2LM)1987年

1985年にナナハンスポーツFZ750を発売したヤマハだったが、周囲のレーサーレプリカブームに対抗するべく87年3月に発売したのがFZR750。ヤマハのTT-F1レーシングマシンFZRが先行し、そのレプリカとして発売された、本当の意味でのレーサーレプリカ。兄弟モデル250/400/1000が先行で発売され、750が最後に登場。モデルチェンジはなく、シリーズ中一代かぎりのモデルだった。発売当時価格:84万9000円


FZR750 (OW74)1985年

画像: FZR750 (OW74)1985年

1985年の鈴鹿8耐に登場したのが、このTECH21カラーのFZR750。市販モデルFZ750をベースとしたレーシングマシンで、1985年シーズンの全日本選手権TT-F1クラス、世界耐久用のマシンとしてデビュー。1986年にはYZF750と改称され、FZR750というネーミングは市販車のものになっていく。


FZR750R (OW01)1989年

画像: FZR750R (OW01)1989年

市販モデルをベースに性能を高めてさらにレース向けとした、RC30の登場で、ヤマハ、スズキもレース向け限定発売モデルを発売。ヤマハはGSX-R750Rに先んじてFZR750R(通称OW01)を500台限定で発売。発売当時価格:200万円


FZR1000 1987年

画像: FZR1000 1987年

1986年のIFMAショーでFZR750と同時に公開され、海外発売はFZR750よりもひと足早かったのがFZR1000。ご覧のように750と判別が難しいスタイリングで車両重量1kg増、最高出力は58PSアップの135PS/10000rpmだった。日本でも逆輸入車として大人気だった。

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