文:中村浩史/写真:松川 忍
はじめてビッグシングルに乗ったあの日をハッキリ覚えてる
SRX600は、ニューモデルのタイミングではないけれど、まだ現行車だった時代に、センパイが所有していた個体に乗せてもらったことがある。
当時僕はRG250(Γではない空冷2スト2気筒車)に乗っている大型免許を取ったばかりの20歳。欲しいバイクはGSX-R750かCBR400F、そんな少年だった。
SRは、同じアパートの上の階に住むおねーさんが乗っていて、何度かキックスタートさせて、乗せてもらったことがあった。エンジンがかかると、センタースタンド状態のSRはズダダダダダと車体を震わせてアイドリング。乗り始めても、ギアをひとつ間違えると、あだだだだだ、って暴れはじめてうまく乗れない、なんて荒っぽいバイクなんだ、って印象だった。
だからSRXを初めて貸してもらった日のことをハッキリ覚えている。
ーーあれ?デコンプレバーは?
「ないよそんなの。オートデコンプ」
ーーえー、そうなんだ。
エンジン始動でそんなやりとりをした先輩を横に、エンジンをかけた僕はサイドスタンドでスタタタタタと軽やかにアイドリングするSRXに拍子抜けしていた。あ、これなら僕にも乗れるかもしれない、と安堵しながら。
走り出しても、SRXはまったく普通だった。たしか、高円寺のアパートを出て東へ、つくばに住む別のセンパイんチまで乗って行って、当時の僕が知らない4ストローク600ccビッグシングルを充分に味わったのだ。
「どうだったよ」
ーーいや、普通に乗れたよ。そんなにズドドドドドって走るバイクじゃないんだね。コロコロコロ、って。
「気持ちよかったろ」
ーーいやぁ、でも速くないじゃん。4気筒だったらもっと……。
「もういい。オマエじゃわかんないか」
少し怒ったようなセンパイが、なんだかかっこよく見えた。年齢は4つ5つしか違わなかったはずなのに、いま思えば、まだ少年のエリアにいる僕から、背伸びをしてオトナの世界に頭を突っ込みたがっているセンパイが、とても大人に見えたのだ。
あの頃のセンパイに謝らなきゃな。30年が経過した今なら、SRXのすばらしさがよくわかるよ。
SR再生産待望論よりも僕はいまSRXに乗りたい
今回乗る車両は、あの青春の想い出の中にあるSRX600ではなくて、後期モデルのセル付き、モノショックモデル。スタイリングは初期モデルを少し骨太にしたような、それでもちゃんとSRXだと分かる美しいもの。
もう絶版になって久しいけれど、今まで何度もパソコンの画面を眺めては、オークションサイトに入札しそうになったことがある。あ、こんなバイク1台持っていたいナーーそう思ったこと、アナタにもあるでしょう?
キックアームを探したけれど当然なくて、セルボタンで始動。初期モデルに比べるとスタイリングだけでなく、エンジンの回り方もひと回り骨太になったというか、やや重厚に回る印象。エンジン本体は変更されていないのにそう感じるのは、車体を含めたトータルでフィーリングを感じるからだ。
夜明けを待って走り始める。SRXが、真冬の冷たい空気を喜んでいるのがわかる。試乗した車両のコンディションもよく、低回転からスムーズに、高回転までよく回る。それにしても、なんて普通に走れる、素晴らしく楽しい30年前の単気筒モデルだ。
あえて「今」のオートバイと比較すると、おそらくOEM装着されていたノーマルタイヤ性能のためか、車体の静的ディメンジョンでフロントに荷重をかけることが難しかったのだろう。それともシート高を低く、足つきを重視しすぎたためか、車体姿勢が前上がり後ろ下がりすぎる。
つまりSRXは、昔よく言われていた「後ろ乗り」するスポーツバイクなのだ。あれからタイヤ、サスペンション性能がよくなって、フロントに荷重をかけて「曲がる」ことがもっとイージーに快適になったことを考えると、現代のフォーク&リアサスを使ってシート高をうんと上げ、フロントに荷重をかけた状態で「今」のSRXに乗ってみたくなる。きっとワインディングが素晴らしく楽しいだろうなぁ!
ついついそんな妄想をしてしまうほど、SRXは2023年にも楽しさを感じることが出来た。もちろん「今」のバイクと比較する必要なんてないけれど、トラクションコントロールや電子制御デバイス、200PS、300km/hなんてところと無縁な世界にシングルスポーツは存在するのだ。
生産終了したSRの再生産待望論は消えることがない。けれど僕は、セル付きでも、セルなしの初期モデルでもいい。SRでなくSRXが、またこの世に存在してくれればなぁ、と思う。