スズキの前身は生地製造機としての自動織機メーカーだったが、機械が高価だったために買い換え需要が伸びず、4輪と2輪の事業へ転身が図られた。1954年に鈴木自動車工業へ改称された。
まとめ:オートバイ編集部

スズキのルーツは鈴木式織機株式会社

スズキ初の完成車両はなんと4ストエンジンを搭載 

2020年に創立100周年を迎えたスズキは、1920年の鈴木式織機株式会社がルーツ。この織機メーカーが自転車用補助エンジンの、36cc「パワーフリー」を発売したのが1952年の6月だ。このエンジンは湿式多板クラッチによる2段変速、エンジン動力とペダルでの動力を、それぞれのギアが受け持つダブルスプロケットホイールを持つという画期的なものだった。

その8月に道路交通取締令が改正されて、2ストは60ccまでが無試験許可制になる。ちなみに4ストは90ccまでだった。これを受け、1953年3月には60ccエンジンの「ダイアモンドフリー」を発売。札幌から鹿児島までの日本縦断3000kmテストを敢行し、18日を費やしたこのテストを見事に完走。また1956年には世界32カ国を訪問するという、バンコク~フランスのパリ4万7000kmを走破する快挙を成し遂げて、その優秀性と耐久性を見せつけた。

待望のオートバイは、1954年5月に初の2輪完成車として「コレダCO」を発売。エンジンは4スト90ccだ。4ストを選んだ理由は、先に述べた運転免許の無試験許可制で、このモデルは発売の2カ月後に開催された第2回富士登山レースに出走し、クラス優勝を果たしている。

しかし、世の中は目まぐるしく変わる。この年の10月、運転免許が申請書類の提出と、軽い学科試験をパスすることで、125ccまで乗れるようになったのだ。そうであるならと、翌1955年3月に排気量を125ccに拡大した「コレダCOX」へとモデルチェンジさせている。

その間、スズキはメカニズム的な簡素さや、同じ排気量ならパワー的に有利であることから、2ストも同時に研究開発。「コレダCOX」と同時期に2スト125ccエンジンを搭載した「コレダST」を発売している。このモデルの爆発的なヒットで、スズキは自社の2スト技術に大きな自信を持つに至った。

さらに欧州でポピュラーなペダル付きオートバイ、モペッド(モーター+ペダル)にも注目。1958年5月に「スズモペットSM1」を発売する。この後継機となる「セルペット」のエンジンをベースとしたRM62がWGPで年間チャンプとなるなど、スズキはスポーツバイクメーカーとして大きな飛躍を遂げていくのだが、しかしこれは1960年代を待たねばならない。

画像: 1909年に浜松で創業された鈴木式織機製作所(写真は当時の販売店舗)。創業者の鈴木道雄氏は戦前から2輪用と4輪用エンジンの試作を開始。

1909年に浜松で創業された鈴木式織機製作所(写真は当時の販売店舗)。創業者の鈴木道雄氏は戦前から2輪用と4輪用エンジンの試作を開始。

創業者・鈴木道夫

1920年に浜松で生地製造機メーカー「鈴木式自動織機製作所」を創業した鈴木道夫氏。1930年には浜松市会議員選挙に当選し、8年にわたって議員と社長業を兼任した。

元々は自動織機のメーカー

画像: バイク産業に関わる前は、生地製造機を生産していたスズキ。優秀な自動織機として評判だった。

バイク産業に関わる前は、生地製造機を生産していたスズキ。優秀な自動織機として評判だった。

画像: 1953年、東京の三菱銀行前で撮影された写真。右端に立つのは二代目社長の鈴木俊三氏で車両はダイヤモンドフリー号。

1953年、東京の三菱銀行前で撮影された写真。右端に立つのは二代目社長の鈴木俊三氏で車両はダイヤモンドフリー号。

画像: 1953年、ダイヤモンドフリー号で第1回富士登山レースに出場して優勝。翌年はコレダ号で出場し、2年連続優勝を遂げた。

1953年、ダイヤモンドフリー号で第1回富士登山レースに出場して優勝。翌年はコレダ号で出場し、2年連続優勝を遂げた。

スズキの製品(1950年代)

アトム号(1952年)

画像: 他の2輪メーカーと同様に、スズキも最初は 自転車に補助エンジンを搭載した「アトム号」から始まった。

他の2輪メーカーと同様に、スズキも最初は 自転車に補助エンジンを搭載した「アトム号」から始まった。


パワーフリー号(1952年)

画像: 自転車の補助エンジンとして発売された「パワーフリー号」は、2段変速を搭載したことで高い人気を誇った。

自転車の補助エンジンとして発売された「パワーフリー号」は、2段変速を搭載したことで高い人気を誇った。


ダイヤモンドフリー号(1953年)

画像: 第1回富士山登山レースの原付枠で唯一、1時間を切るタイムで優勝。月産6000台を記録する大ヒットモデルだった。

第1回富士山登山レースの原付枠で唯一、1時間を切るタイムで優勝。月産6000台を記録する大ヒットモデルだった。


ミニフリー号(1958年)

画像: 1958年に登場したミニフリー号の広告。赤いアクセントが際立った女性受けするデザインだった。

1958年に登場したミニフリー号の広告。赤いアクセントが際立った女性受けするデザインだった。

スズキの歴史 簡易年表(1950年代)

1951年
繊維業界不況で自転車用小型エンジンの試作に成功、アトム号と命名
1952年
36ccエンジンを搭載したパワーフリー号が完成
1953年
2サイクル60ccのダイヤモンドフリー号を発売し、月産6000台を達成
第1回富士登山レースにダイヤモンドフリー号がクラス優勝
ダイヤモンドフリー号、札幌‐鹿児島間を18日間で完走
1954年
コレダ号CO型4サイクル90ccを発表
鈴木自動車工業株式会社に社名変更
第2回富士登山レースでコレダ号がバイクモータークラスで優勝
1956年
豪華仕様の2スト250ccのコレダ号TT型を発表
1958年
スズモペット・SM型2サイクル50ccを発表
新しい社章としてSマークを制定、製品各車に逐次採用
1959年
2サイクル2気筒125ccセル付のセルツインSBを発売

月刊オートバイに掲載された広告から見るスズキが1950年代に売りたかったバイク

1958年1月号

画像: 1958年1月号

1958年4月号

画像: 1958年4月号

1958年11月号

画像: 1958年11月号

1959年9月号

画像: 1959年9月号

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