文:RIDE編集部
1913~1953年|第二次世界大戦で戦場へ大量に送られ、小売売上高が大幅に減少
下の写真は軍用モデルの出荷前と思われる貴重なショット。戦地に送り出される際には、ガンホルダーや大型スクリーン、サイドカーを装着されるケースもあった。生産車のほぼ大多数を軍用モデルに供出してしまったため、一般向けに販売されるインディアンの台数は極端に減少してしまった。
その高性能や信頼性から軍用や警察車両に採用された
インディアンの性能の高さや完成度を物語るひとつに、米軍や戦時中に使用された、ということが挙げられる。1913年には米軍が使用を始め、第一次世界大戦にアメリカが参戦を開始した1917年には、その生産台数の大部分を軍用車として供出。1917~19年にかけて約5万台が軍で利用されていた。
さらに日本への輸入もこの頃だった。警視庁がバイクによる交通取り締まりをスタートさせた1918年に、数台のインディアン・チーフが「赤バイ」として警察車両に利用されていた。日本プロレスの父として知られる力道山が力士だった時代に、真っ赤なチーフで場所入りしていたのも有名な話だ。
第二次大戦がはじまった1939年以降には、再び軍用車として生産車の大部分を供出し、連合国用の軍用モデルとして、新たにインディアン841なるモデルを開発。Vツインエンジンは横置きされ、シャフトドライブを採用。その構造は、後にモトグッツィが採用する横置きVツイン+シャフトドライブに先鞭をつけたものだった。
同盟国であるイギリス車は、爆撃によって工場が被災したことから、841をはじめとする軍用インディアンは、約3万5000台以上が戦地へ送られ、そのあおりでインディアンの小売売上高は大幅に減少。そのため、アメリカのオートバイの主役の座をハーレーに奪われる形となり、第二次大戦が1945年に収束したわずか8年後に、かつては世界最大といわれたオートバイメーカーが操業を停止してしまうのだ。
1953年、全モデル生産停止|2013年に活動を再開
1953年、操業を停止
世界最大のオートバイメーカーといわれたインディアンは、1901年に最初のモデルの発売をスタートし、1953年に操業を停止。その間、様々なバリエーションのモデルをラインアップしたが、世界恐慌や英国車の台頭に抗うことが出来なかった。インディアンは次々と経営陣を刷新、経営権売却で延命を図ったが、栄光を取り戻すには至らなかった。
技術革新から絶頂をむかえるも没落。2013年「チーフ」で復活
1916年に実用化されたサイドバルブエンジンのVツイン(下の写真)をはじめ、当時の最先端技術にも次々とトライしていたインディアン。
ごく初期にはほぼ自転車のフレームにエンジンを搭載していたが、Vツインを搭載するようになって、クレードルフレームを採用。単気筒にはダイヤモンドフレームも実用化していた。
同時にリーフスプリング式フロントフォーク&リアサスや、サドルスプリングシートなど、早くから車体づくりにも注目していたブランドだった。
それもすべて、前に触れた、レース出場を糧にした技術開発の賜物だったのかもしれない。
単気筒とVツインからスタートしたエンジンバリエーションは、エースを買収して開発した4気筒エンジンに続いて、500ccのVツインや、バーチカルツイン、バーチカルシングルエンジンもラインアップ。
しかし、第二次世界大戦や、その後の世界恐慌の影響もあって販売が低迷。経営者が次々と交代し、経営権も何度も移管。さらにこの時期、どんどん販売コストが下がって普及していった4輪にモビリティの主役を奪われたのも原因のひとつだっただろう。
1953年にはついにすべてのモデルの生産を停止。製造部門と切り離されていたセールス部門が、イタルジェットやロイヤルエンフィールド、ヴェロセットを輸入し、インディアンブランドで販売した時期もあったが、何度も活動と休止を繰り返し、2011年にポラリスインダストリーズがインディアンブランドを完全買収。ついに2013年に、まったく新しい「チーフ」で本格的に活動再開を果たしたのだ。
文:RIDE編集部