2023年現在も中古車が大人気で価格が高騰しているヤマハ「RZ250」。この記事ではデビュー当時の衝撃をお伝えしよう。
文:太田安治

ヤマハ「RZ250」デビュー時の衝撃

画像: YAMAHA RZ250 1980年 総排気量:247cc エンジン形式:水冷2ストピストンリードバルブ並列2気筒 最高出力:25.7kW(35.0PS)/ 8000rpm 最大トルク:29.4N・m(3.0kgf・m)/8000rpm 乾燥重量:139kg 当時価格:35万4000円

YAMAHA RZ250
1980年

総排気量:247cc
エンジン形式:水冷2ストピストンリードバルブ並列2気筒
最高出力:25.7kW(35.0PS)/ 8000rpm
最大トルク:29.4N・m(3.0kgf・m)/8000rpm
乾燥重量:139kg
当時価格:35万4000円

取材現場にもピリついた空気が流れていた…

ヤマハRZ250のデビューは衝撃的、というより「こんなのアリかよ!」と唖然とした。1970年代後半から排出ガス規制が一気に強まったことで、燃料と一緒に潤滑用オイルを燃やして煙を吹く2ストエンジンは数年以内に消滅するとまで言われていたのに、当時クラス最高の35馬力を発揮する完全新設計水冷エンジンを積んで現れたんだから。

その人気はヤマハの想定を遙かに超えて、たちまちバックオーダー状態に。当時では珍しく、半年以上待たされることもあった。

広報車がオートバイ編集部に来ると、テストライダーに編集部員、アルバイトスタッフまで集まって来てキーの奪い合い。ひととおり乗って帰ってくると、誰もが「すんげー速い!」だの「めっちゃ面白い!」だのと興奮してインプレを語る。もちろん僕もその中のひとりだった。

低中回転では眠そうにモワ〜ッと回り、6000回転で覚醒し。フロントを浮かす勢いでパキ〜ン! と加速して9000回転超まで伸びる。当時としてもピーキーな特性で扱いやすくはないものの、パワーバンドを保って走らせる充実感は格別。とは言っても35馬力だから、今の大型スーパースポーツモデルのような怖さを感じるような加速じゃないけどね。

オートバイ誌ではゼロヨン、最高速の定地テスト、サーキットのラップタイム計測を何度もやったけど、4スト400クラスと互角の速さ。250クラスでは敵なしだった。

当時はホンダとヤマハが国内市場のシェア争いを繰り広げた「HY戦争」のまっただ中。ホンダは1982年にVT250Fを登場させ、超高回転型4ストV型2気筒35馬力エンジンでRZの牙城を崩しに掛かった。当然、ヤマハ側は目の色を変えるよね。RZは「市販レーサーTZ250の技術を活かした」と謳っていたし、同じ排気量で2ストが4ストに負けるなんて絶対に許されないことだから。

もう40年前の話だから書いちゃうけど、両車のライバル対決取材のときは殺気立っていた。鈴鹿サーキットでの対決ではVTにワークスライダー、筑波サーキットでの対決ではRZにワークスライダーが乗って本気のアタック。さらにFSW(富士スピードウエイ)でのゼロヨンと最高速テストではヤマハがメカニックを用意して現地で入念にセッティングしていて、僕ら編集スタッフには触らせてもくれない厳重管理態勢。個人的な推測だけど、あの時のRZは吸排気系を軽くチューニングしてたんじゃないかな…。空吹かしでも乾いた排気音を響かせながら鋭くレスポンスしてたし、データも良かったからね。

当時のプロダクションレース(現在のJP250的なクラス)はRZが席巻し、1983年にRZ250Rに進化してライバル車の追随を許さなかった。RZ-Rは排気デバイス(YPVS=ヤマハパワーバルブシステム)装備で公道での扱いやすさが格段に上がり、ツーリングも快適。でも初代RZの気難しさは忘れられない魅力。今のライダーは「乗りにくい」って文句言うだろうな…。

画像: 当時のカタログ。

当時のカタログ。

画像: 「スポーツショップイシイ」はRZ250のチャンバーなどのカスタムパーツを開発していた。バリバリのカスタム車も数多く月刊『オートバイ』に登場した。

「スポーツショップイシイ」はRZ250のチャンバーなどのカスタムパーツを開発していた。バリバリのカスタム車も数多く月刊『オートバイ』に登場した。

画像: RZ250の衝撃を伝える当時の月刊『オートバイ』の誌面。

RZ250の衝撃を伝える当時の月刊『オートバイ』の誌面。

文:太田安治

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