文:太田安治
空冷4スト4気筒マシン「CBR400F」はさまざまなバリエーションで展開された

Honda CBR400F
1985年
総排気量:399cc
エンジン形式:空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒
シート高:790mm
車両重量:191kg
当時価格:53万9000円

Honda CBR400F エンデュランス
1985年
総排気量:399cc
エンジン形式:空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒
シート高:790mm
車両重量:198kg
当時価格:59万8000円

Honda CBR400F エンデュランス 特別仕様車(F3)
1984年
総排気量:399cc
エンジン形式:空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒
シート高:780mm
車両重量:200kg
当時価格:61万5000円

Honda CBR400F フォーミュラ3
1985年
総排気量:399cc
エンジン形式:空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒
シート高:780mm
車両重量:195kg
当時価格:61万5000円
フォーミュラ3は、1人乗り専用設計だが公道でも乗りやすい
1980年代はオートバイの高性能化が急加速した時代。400ccクラスではCBX400Fが1981年に登場して、ライバル車を圧倒する動力性能とホンダらしい独創的なメカニズムが若いライダーを魅了し、今の国内市場からは想像できないほど爆発的に売れた。
同じ時期に急速に盛り上がりを見せていたのが、一般市販車で手軽に参加できる「プロダクションクラス」のロードレース。そこでホンダはレース部門であるRSC(現HRC)を通じてCBX用に外装やエンジン内部のレーシングパーツを販売。これが後のF3レースブームへと繋がった。
この時代はフルモデルチェンジを2〜3年で行い、新型になるたびにエンジンも車体も大きく進化した。だから1983年に登場したCBR400FもCBXの後継モデルとは思えないほどスポーツ性能が引き上げられていた。
当時、CBX400FとVF400Fの2台持ちだった僕は鈴鹿サーキットでの発表試乗会で初めてCBRに乗ったんだけど、走り出した瞬間からCBXとはまったくの別物。エンジンは後にVTEC機構へと進化していくREV機構(回転数によって吸排気バルブを2本⇆4本に切り替える)が採用されて、パワーもCBXの48PS、VFの53PSから一気に58PSになった。車体も完全新設計で、VT/VFでネガ要素が取り沙汰されたフロント16インチホイールのフィーリングが改善。旋回性もフルバンク中の接地感も格段に良くなった。
試乗会の撮影ポイントは2つの左コーナーが続くスプーンカーブ。最初は自分の想定以上にグイグイ向きが変わるので面食らったけど、接地感が高いので不安なくペースを上げられた。バックストレートへの立ち上がり加速でもパワーの盛り上がり感があって最高に気持ち良かったことを鮮明に覚えている。
このCBR400Fはネイキッドスタイルで、ハーフカウルを付けたのが「エンデュランス」。フルカウルを装備したのが「エンデュランスF3」で、ハーフカウル+シングルシート仕様が「フォーミュラ3」。こう書いていてもややこしい(笑)。
フォーミュラ3はスポーツ性を強く意識したモデルで、一人乗り専用設計という割り切りが潔かった。ただ、決してレースでの戦闘力を追求した作りじゃなく、公道での扱いやすさをしっかり確保してあったのもホンダらしい。街乗りも普通にこなしたし、高速クルージングも快適。開発スタッフは最初からスプリントレーサーではなく、耐久レーサーをイメージていたのだと思う。
現実的にも1984年にヤマハからFZR400R、スズキからGSX-Rという「水冷59PSエンジン」を積んだサーキット志向の2台が出ていたから、レースでは活躍できなかった。2年ぐらい早く登場していれば勢力図は変わったはずだけど、後に関係者に聞いたら「当時はハーフカウル/フルカウルの認可問題もあって難しかった」ということでした。

CBR400F フォーミュラ3。

シングルシートカウルの装着でスパルタンの印象を受けるCBR400Fフォーミュラ3だが、街中でもとても扱いやすいホンダらしいモデルだった。

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タンデムシート仕様、ホンダ「CBR400FエンデュランスF3」
CBR400Fには派生モデルがたくさんあった。フルカウル仕様はCBR400FエンデュランスF3で、タンデム仕様のハーフカウルはCBR400Fエンデュランスと呼ばれた。

シングルシートのCBR400Fフォーミュラ3には、専用ハンドルとジュラルミン製ステップ、樹脂製レンズなどが特別装備された。