80年代はじめ、突然巻き起こった「ターボ」ブーム。
先鞭をつけたホンダCX500ターボにヤマハXJ650ターボが続き
スズキはGS650Gの空冷4気筒エンジンにターボを搭載。
そして最後の国産ターボは、ひとつ殻を破ってみせたのだった。
最後発のカワサキだけが750cc!?
ホンダ、ヤマハ、スズキと日本の3メーカーから登場したターボ車。その3モデルは、CXが500cc→650cc、XJが650cc、そしてスズキXNが650ccと、当時「中間排気量」と呼ばれたクラスのモデルだった。
900ccのZ1が発売されてから10余年が経ち、カワサキは1300ccモデルすらラインアップしていた80年代初めなのに、なぜ中間排気量かというと、ちょうど当時、アメリカ向けにバイクを輸出する際「700cc以上のモデルには約50%の関税をかける」といわれた日米貿易摩擦が関係していたから。
これはアメリカ(当時の大統領はロナルド・レーガン)による自国産業保護政策で、日本製のビッグバイクがあまりにもアメリカ市場で売れているから、アメリカ製のハーレーダビッドソンを売らんがために、そういうルールを定めたのだ。
ビッグマーケット向けには700ccを超えてはならない、けれど市場はビッグパワーを求めている――そこでターボが生まれた、という事情もあったのだ。
しかし、最後発の日本メーカーによるターボ車となったカワサキのターボモデルは、GPZ750をベースにターボを積んだ750ターボ。日米貿易摩擦解消のための「700cc上限」を超えられたのは、この750ターボがカワサキのアメリカ・ネブラスカ州リンカーン工場製だったから。つまりは「アメリカ生産」だったから700ccオーバーが許可されたのだ。
カワサキも当初、650ccターボのプロトタイプを製作し、81年1月にはテストランまで進んだものの、100ps、トップスピード227km/hを発揮しつつ、さらに性能アップを目指して排気量を750ccにアップすることを決意した、という経緯もあった。ちなみに、カワサキはZ1-R時代に社外のターボキットを装着したモデルを「Z1-R TC」と称して、1978~79年の2年間だけカリフォルニアのカワサキディーラーで発売していたこともあった。
カワサキの750ターボは、それまでの3モデルと違って、ターボらしい高性能を魅力の核としたモデルだった。最高出力は112ps/9000rpm、最大トルクは10.1kg-m/6500rpm。これはベースとなったGPZ750から実に50%のアップ! CX500ターボの82ps/8000rpm、8.1kg-m/5000rpm、XJ650Tの85ps/8500rpm、7.5kg-m/8000rom、XN85の85ps/7500rpm、7.8kg-m/7500rpmよりもはるかにハイパワー。カワサキの公式発表でも「最高速度235km/h、ゼロヨン10秒9」とされ、「GPZ1100よりも約11kg軽く、他のターボバイクよりも3~13kg軽量」とアピールされていた。
完成度を上げるべく、ベースとなったGPZ750からキャブレターをフューエルインジェクションに、ギアレシオも専用に設定し、カムプロファイルもバルブタイミングも専用仕様。クラッチは強化され、サスペンションもブレーキも強化、タイヤも速度レンジを上げた「Vレンジ」を採用していた。
実際にテストをしても、やはり他のターボバイクよりも、カワサキの750ターボは頭ひとつ抜けて力強く、当時よく「ドッカンターボ」と言われたものだった。つまり、低回転から高回転に差し掛かってターボが効く回転域になるとドンと力強くなる――そういうパワー特性だ。
フューエルインジェクションを採用したことで、イニシャルマップにひとつ隠しコマンドがあり、レース仕様マップとすることで130psまでパワーアップするのでは――というまことしやかなうわさが流れたこともあった。
ターボラグがあり、パワーの盛り上がりがハッキリとした特性だった750ターボは、今にしてみれば、技術者にとっては決してほめられたものではなかったのかもしれない。しかし、それだからこそ750ターボは、今でも最も心に残るターボバイクなのかもしれない。
写真/モーターマガジンアーカイブ 文/中村浩史