各社共に展開するヘリテージ系モデルの中で、ヤマハはWGPをアイコンに選びXSR900 GPをリリースした。公道試乗を経て中野真矢氏がサーキットでその実力をテイスト。絶妙な「ちょうど良さ」に惚れ込んだ。
文:ノア セレン/写真:安井宏充/ライダー:中野真矢
画像: 中野真矢(なかのしんや) 1997年にヤマハファクトリーライダーとなり、1998年に全日本GP250ccクラスを制覇。1999年から世界GP フル参戦を開始。引退後はアパレルショップ、56designを主宰し、56RACINGでレース活動もしている。

中野真矢(なかのしんや)

1997年にヤマハファクトリーライダーとなり、1998年に全日本GP250ccクラスを制覇。1999年から世界GP フル参戦を開始。引退後はアパレルショップ、56designを主宰し、56RACINGでレース活動もしている。

ヤマハ「XSR900 GP」サーキットインプレ(中野真矢)

画像: YAMAHA XSR900 GP ABS 2024年モデル 総排気量:888cc エンジン形式:水冷4ストDOHC4バルブ並列3気筒 シート高:835mm 車両重量:200kg 発売日:2024年5月20日 税込価格:143万円

YAMAHA
XSR900 GP ABS
2024年モデル

総排気量:888cc
エンジン形式:水冷4ストDOHC4バルブ並列3気筒
シート高:835mm
車両重量:200kg

発売日:2024年5月20日
税込価格:143万円

憧れのWGPではなく「憧れられた側」の本人

XSR900 GPが刺さる世代と言えば、レースシーンに憧れながら自分でもそれらのレプリカモデルを走らせていた層だろう。そう考えると中野真矢さんは「刺さる世代」よりは少し若く、リアルタイムでXSR900 GPがアイコンとした時代とはマッチしなさそうな気がしたが……いや、逆だった。中野さんは「その中の人」だったのだ。レースシーンに憧れ、その時代のバイクに憧れた人なのではなく、「憧れられた」側としてリアルタイムでそんなレーシングマシンに乗っていたのだ。

「マールボロカラー……まさに、まさにコレですよ」と遠い目をする中野さん。1997年にヤマハと契約した時に乗ったバイクがYZR(250)であり、まさにこのカラーリングだったというのだ。

「このシルキーホワイトというカラーは、マールボロって呼んで良いんですよね? 僕がYZRに乗った時、まさにマールボロカラーだったんです。でも当時はまだ未成年だったから、マールボロっていう文字は入れちゃいけないってことになってて。だけどカラーリングはマールボロカラーだから……まさにコレなんですよ。何だか久しぶりに乗ったような気分で、フラッシュバックしますね!」

画像1: ヤマハ「XSR900 GP」サーキットインプレ(中野真矢)

カウル造形などは中野さんが現役だった時よりはさらに前の世代をイメージしたデザインではあるものの、カラーリングが呼び覚ます記憶というのは心を震わせるものなのだろう。

「実はこのXSR900 GP登場の前に、XSRがゴロワーズのブルーで出ましたよね? あの時すでにググっと来てたんです。というのも、僕がGPに参戦した時フランスのチームで、クリスチャン・サロンさんにはかわいがってもらって家に遊びに行かせてもらったりしてたんですよ。あのカラーで今、新車が出てくるなんて衝撃的で……嬉しかったです」

世代が前後しようとも、レースシーンというのは強い印象を残すものなのだろう。ずっとレースを戦ってきた中野さんはそれらのモデルやカラーは一本で繋がっている。

画像2: ヤマハ「XSR900 GP」サーキットインプレ(中野真矢)

「僕、16歳で4耐に出ましてね、その時にはTZRRはもうV型の3XVだったわけで、そうなるとXSR900 GPについているナックルガードとかはなかったんですよね。だからこの造形は僕としてはリアルタイムではないです。でも3MAや1KTと、その歴史は繋がっているわけで。ファンによってそれぞれのレースシーンがあると思うんです。レイニーさんやロバーツさんって人もいるでしょうし、WGPといえばローソン! という人だっているはずです。でもそれぞれの世代が繋がっていて、そういった空気感を全て包み込んだこのようなモデルが出るのは、ヤマハ系でレースに関わってきた僕としては特に嬉しいですね」

造形・カラーリング双方から、ヤマハが輝いた1980年代のGPシーンをオマージュ、そしてリスペクトするXSR900 GP。ヤマハがヘリテージモデルを作るにあたりこの年代をピックアップしてくれたことが嬉しい、と、まさにその年代を駆け抜けたレーサー本人は目を細めた。

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