文:ノア セレン/写真:安井宏充/ライダー:中野真矢
ヤマハ「XSR900 GP」サーキットインプレ(中野真矢)
憧れのWGPではなく「憧れられた側」の本人
XSR900 GPが刺さる世代と言えば、レースシーンに憧れながら自分でもそれらのレプリカモデルを走らせていた層だろう。そう考えると中野真矢さんは「刺さる世代」よりは少し若く、リアルタイムでXSR900 GPがアイコンとした時代とはマッチしなさそうな気がしたが……いや、逆だった。中野さんは「その中の人」だったのだ。レースシーンに憧れ、その時代のバイクに憧れた人なのではなく、「憧れられた」側としてリアルタイムでそんなレーシングマシンに乗っていたのだ。
「マールボロカラー……まさに、まさにコレですよ」と遠い目をする中野さん。1997年にヤマハと契約した時に乗ったバイクがYZR(250)であり、まさにこのカラーリングだったというのだ。
「このシルキーホワイトというカラーは、マールボロって呼んで良いんですよね? 僕がYZRに乗った時、まさにマールボロカラーだったんです。でも当時はまだ未成年だったから、マールボロっていう文字は入れちゃいけないってことになってて。だけどカラーリングはマールボロカラーだから……まさにコレなんですよ。何だか久しぶりに乗ったような気分で、フラッシュバックしますね!」
カウル造形などは中野さんが現役だった時よりはさらに前の世代をイメージしたデザインではあるものの、カラーリングが呼び覚ます記憶というのは心を震わせるものなのだろう。
「実はこのXSR900 GP登場の前に、XSRがゴロワーズのブルーで出ましたよね? あの時すでにググっと来てたんです。というのも、僕がGPに参戦した時フランスのチームで、クリスチャン・サロンさんにはかわいがってもらって家に遊びに行かせてもらったりしてたんですよ。あのカラーで今、新車が出てくるなんて衝撃的で……嬉しかったです」
世代が前後しようとも、レースシーンというのは強い印象を残すものなのだろう。ずっとレースを戦ってきた中野さんはそれらのモデルやカラーは一本で繋がっている。
「僕、16歳で4耐に出ましてね、その時にはTZRRはもうV型の3XVだったわけで、そうなるとXSR900 GPについているナックルガードとかはなかったんですよね。だからこの造形は僕としてはリアルタイムではないです。でも3MAや1KTと、その歴史は繋がっているわけで。ファンによってそれぞれのレースシーンがあると思うんです。レイニーさんやロバーツさんって人もいるでしょうし、WGPといえばローソン! という人だっているはずです。でもそれぞれの世代が繋がっていて、そういった空気感を全て包み込んだこのようなモデルが出るのは、ヤマハ系でレースに関わってきた僕としては特に嬉しいですね」
造形・カラーリング双方から、ヤマハが輝いた1980年代のGPシーンをオマージュ、そしてリスペクトするXSR900 GP。ヤマハがヘリテージモデルを作るにあたりこの年代をピックアップしてくれたことが嬉しい、と、まさにその年代を駆け抜けたレーサー本人は目を細めた。