オートバイ市場において、ホンダ・スーパーカブシリーズはどういったポジションに位置してきたのか? どのような貢献をしてきたのか? そしてこれからどうなっていくのか? という話を太田安治氏に聞いた。
以下、文:太田安治

筆者プロフィール

太田安治

1957年東京都生まれ。本誌の様々な企画でテストライダー、テスターを長年務めるジャーナリスト。元国際A級ライダーで全日本ロードレース選手権のチーム監督や自動車専門学校の講師も務めるなど40年以上のキャリアを誇る。二輪歴は50年で、これまで5000台以上に試乗。愛車はBMW S1000Rとカワサキ KLX250。

排出ガス規制に対応不可!? スーパーカブ50がなくなる!

小さい頃から身近にあったスーパーカブ

66年前に誕生して累計販売台数が1億台を軽く超えたスーパーカブ。それだけに熱狂的なファンも精通しているマニアも数多い。彼らから見れば僕は素人同然かもしれない。でも、思い返すとスーパーカブとの接点はけっこう多くある。

僕がオートバイに興味を持ち始めた1970年頃は日本経済が高度成長を続けていて、街の様子も庶民の生活様式も凄まじい勢いで変化していった。戦後復興期に大活躍した文字どおりの原動機付き自転車(補助エンジンを付けた自転車)はほぼ絶滅していて、敗戦によって飛行機製造を禁止された富士重工の「ラビット」、三菱重工の「シルバーピジョン」といったスクーターは総じて排気量が大きくて高価だったため庶民の手は届かず、袈裟に草履履きで檀家を回るお坊さん、看護婦さんと二人乗りで白衣をなびかせながら往診に行く町医者さんの姿を時折見かけたくらい。

そんな時代に郵便に新聞、牛乳の配達からクリーニング屋や酒屋の御用聞き、通勤通学まで、雨の日も風の日もそこいら中を毎日元気に走り回っていたのがスーパーカブだ。

スーパーカブの大ヒットで、他社も似たような構成の原付を続々とリリース。ヤマハの「メイト」、スズキの「バーディ」が有名どころだけれど、自転車で有名なブリヂストン、ミヤタ、ヤマグチ、農機のイセキなども参入。でもメーカーに関係なく「カブ」と呼ばれていた。それだけ生活に密着した乗り物として誰からも認知されていたということだ。

画像: 排出ガス規制に対応不可!? スーパーカブ50がなくなる!

僕が初めて乗ったオートバイも近所の八百屋の兄ちゃんが仕入れと配達に使っていたスーパーカブ50。いつも自転車でゼイゼイ言いながら立ち漕ぎしていた坂道もスロットルを回すだけでスイ~と登り、大通りでも自動車と一緒に走り続けられる。「これさえあればどこでも行けるじゃん!」と、背中に羽が生えたかと思うくらい感動した。現在50~60歳代のライダーは、「カブがオートバイの世界の扉を開けてくれた」という人が多いと思う。
 
今はスーパーカブを洒落っ気のあるストリートバイクと捉えている若いライダーが多い。しかし僕が高校生だった1970年代前半はまったく若者受けせず、野暮ったい実用車という括り。この頃の50ccクラスは車種が急増して、ホイール径の小さいミニバイクの人気も盛り上がった。ホンダならダックスやシャリィ、ヤマハならミニトレ、スズキならバンバンあたりが若いライダーに人気で、カブを通学に使っている仲間は「お母ちゃんのバイクを借りてきたのか?」と馬鹿にされる始末だった。

スーパーカブの後に登場したモンキー、ダックスなどのエンジンはシリンダーが車体前側に伸びていることから「横型」と呼ばれた。70ccや90ccの上位機種と互換性のあるパーツも多かったから、純正部品流用のカスタムが簡単に行える。さらに専門ショップが横型エンジン用のオリジナルパーツを豊富に揃えたことでチューニングが身近になった。

排気量を100cc以上に拡大してハイリフトカムシャフトや軽量クランク、大径キャブレターにメガホンマフラー、5速クロスミッションを組み込んだフルチューンエンジンのカブに乗らせて貰ったことがあるけれど、これはもう笑っちゃうほど速くて不気味だった。

1970年代中盤で日本の経済成長は一段落。生活レベルが上がると庶民の足はオートバイから自動車へと代わり、配達は軽トラック/バンが主流に。1980年代に入ると通勤通学の足は小型スクーターが人気になり、カブの比率は下がっていった。それでもカブシリーズは地道な改良とモデルチェンジを重ね続けた。一定の需要があるうえに、ホンダを世界的なメーカーに成長させた功労車を、ラインアップから外すことはできなかったのだろう。

だからスーパーカブ50/110はホンダの良心と意地の産物だと感じるし、スーパーカブC125とCT125・ハンターカブが趣味バイクの新ジャンルになったことは感慨深い。まだまだ『カブ』の世界に終わりは見えない。

画像: www.autoby.jp
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様変わりする環境に合わせた「新基準原付」

2024年6月下旬に大きな話題となったにがスーパーカブ生産終了という報道。実は生産終了は排気量50cc版だけなのだが、ネットニュースが説明不足だったためか、カブシリーズがすべて消えると誤解した人が多かったという。

カブ50が消滅する最大の理由は、来年から適用される二輪排出ガス規制への対応が難しいため。技術的には可能らしいが、ドライバビリティ(要するにパワーとレスポンス)の低下、生産コストの増加を考えると、「足代わりの手軽な乗り物」ではなくなってしまう。まして50ccのカブは事実上の日本専用モデルで、今後の販売台数増加も見込めない。

僕は歴代のスーパーカブ50に試乗しているが、最高出力3.7PSとなった現行モデルは正直言って非力だ。加減速が穏やかで扱いやすいと捉えることもできるが、法定速度の30km/hを優に超えるスピードは出るものの、登坂力はギリギリのレベル。混合交通の中を走ると緊張を強いられるのも事実だ。

実はカブ50の生産終了は既定路線で個人的な驚きはない。かなり前から国内メーカーは原付一種の区分見直しを国に要望していて、現行スーパーカブ50/110の発表試乗会では「50cc版はこれが最後になるかも…」という話も聞いていた。

さらに最高出力4kW(5.4PS)以下・排気量125cc以下のバイクを新たな基準として、これまでの50cc車と同じ原付一種免許扱いする方針が示され、警察庁が行った新基準原付の走行実験にはスーパーカブ110の吸排気系と点火系に手を入れて新基準に合わせた仕様が登場。新たな排出ガス規制は2025年11月に適用開始となるから、スーパーカブの「新基準原付仕様」はいつ発表されてもおかしくない。発売に向け、自然なスロットルレスポンスとパワー特性の仕上げ段階に入っているはずだ。

すでにデリバリー業務用としてベンリィe:とジャイロe:、一般ユーザー向けにはEM1e:というEVモデルがあるが、充電環境が整えられないユーザーにとってはガソリンエンジンモデルが必要不可欠。登場以来66年という超ロングセラーの50ccモデルの生産終了は寂しいが、「スーパーカブはなくならない」ということを改めて記しておきたい。

画像: 初代から採用されきたキャブレター方式から、2007年にフューエルインジェクション化、そして排出ガス規制に対応など様々な問題をクリアしてきたホンダの横型エンジン。写真は2009年に発表されたスーパーカブ プロ50。

初代から採用されきたキャブレター方式から、2007年にフューエルインジェクション化、そして排出ガス規制に対応など様々な問題をクリアしてきたホンダの横型エンジン。写真は2009年に発表されたスーパーカブ プロ50。

文:太田安治

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