以下、文:栗栖国安/写真:徳永 茂

筆者プロフィール
栗栖国安
1955年生まれ 東京都出身
1982年に二輪雑誌業界に足を踏み入れ、ニューモデル試乗からツーリング紀行まで東奔西走する、バイク歴50年超のバイクジャーナリスト。愛車はホンダ スーパーカブ110(JA44)とヤマハ セロー225を所有する。
ホンダ「スーパーカブ C100」(1958年)|インプレッション

Honda SUPER CUB C100(1958年)
エンジン形式:空冷4ストOHV単気筒
総排気量:49cc
最高出力:4.5PS/9500rpm
最大トルク:0.33kg-m/8000rpm
車両重量:55kg
当時販売価格:5万5000円

Honda SUPER CUB C100(1958年)
エンジン形式:空冷4ストOHV単気筒
総排気量:49cc
最高出力:4.5PS/9500rpm
最大トルク:0.33㎏-m/8000rpm
車両重量:55kg
当時販売価格:5万5000円
力強く軽快な走りで人々の生活を豊かにした
乗降性の良いステップスルーボディ、足つき性を高めた17インチタイヤ、操作が簡単で片手運転さえも可能にした自動遠心クラッチ3速ミッション、そしてポリエチレンパーツによる軽量化など、独創的なアイデアがふんだんに盛り込まれたスーパーカブC100は、扱いやすさと優れた耐久性が高く評価され人気モデルとなった。
1958年の発売当時、大卒者初任給がおよそ1万2000円。庶民にとって自家用車がまだまだ高嶺の花だった時代に5万5000円のスーパーカブC100は決して安い買い物ではなかった。だが少しがんばれば手が届くバイクはたちまち人気となった。
乗車してみると、現行モデルよりひと回りコンパクトで全体にスリムで車重も軽いことを実感する。ポジションもコンパクトな印象だが窮屈さはない。シートに跨るのではなく「座る」という独特のライディングスタイルは、当時としては画期的だったに違いない。いずれにしても、ステップスルーによる乗降性の良さも含めて、老若男女だれもが気軽に乗れる要素は見事に具現化されている。

試乗したのはホンダコレクションホールで保管されている車両で、整備がしっかりとなされている。そのため60年以上も前の車両にもかかわらずキック一発で始動してくれた。
走り出すとパタパタという心地好い排気サウンドを奏で、現在のモデルと遜色がないほどスムーズにレスポンスする。ギアの入りも良好で、予想以上の加速の良さを見せつける。正直なところ空冷OHVの昔のエンジンだからとそれほど期待はしていなかった。
ところが、予想外に低中速トルクがあって、気づけばスピードメーターの針は40km/hを指してにいた。わずか49ccの単気筒エンジンなので強烈な加速をするわけじゃないが、アクセル操作にリニアに追従してくれるのでことのほか扱いやすい。高回転での伸びという面では現行のスーパーカブ50に及ばないが日常的な使用範囲で考えれば力不足は感じない。
ハンドリングも自然で扱いやすく小回りが利くので、狭い路地にも躊躇なく入り込める。また未舗装路が多かった状況に適した足まわりを採用した。こうした機動性の高さが人々の生活を豊かにする一因だったのだろう。
ホンダ「スーパーカブ C100」(1958年)|各部装備

カモメが羽を広げたようなデザインのハンドルカバーが特徴的なフロントまわり。機械的なパーツが見えないように随所にポリエチレン製カバーを装備。

現行モデルにも継承されるステップスルーボディの採用により、女性にも乗り降りしやすいものとなった。エンジンは横型の空冷4ストロークOHV単気筒。

赤いシートは当時としては斬新な試みだった。荷物の積載に便利なリアキャリアを標準装備していたのもユーザーフレンドリー。最新のC125のモチーフにもなっている。

細身のリアフェンダーにテールランプとウインカーランプを装着。全体にスリムなのも印象的だ。小ぶりなランプ類がすっきりと収められていて実にスタイリッシュ。

当時はまだ舗装が進んでおらず不整地が多く、サスペンションにかかる負担は少なくなかった。そこで作動性の良いボトムリンク式フロントサスペンションを採用。

17インチタイヤの採用で足つき性の良い低いボディを実現。ブレーキは当時一般的だったドラム式を採用。マフラーはメッキ仕上げのモナカタイプが採用されていた。