環境問題で当時2ストロークエンジンの存続が危ぶまれる中、逆風を吹き飛ばすかのように颯爽と現れたのがRZ250だった。ヤマハが技術の粋をフル投入したこの傑作が、後のバイクブームのきっかけとなっていく。

ヤマハ「RZ250」特徴

画像: YAMAHA RZ250 1980年~1982年 総排気量:247cc エンジン形式:水冷2スト ピストンリードバルブ並列2気筒 シート高:790mm 乾燥重量:139kg

YAMAHA
RZ250 
1980年~1982年

総排気量:247cc
エンジン形式:水冷2スト ピストンリードバルブ並列2気筒
シート高:790mm
乾燥重量:139kg

2ストの集大成として誕生した最強スポーツ

自動車の排出ガス中の一酸化炭素や窒素酸化物を規制する「マスキー法」がアメリカで1970年に制定されたのをきっかけに環境問題が声高に叫ばれるようになると、自動車メーカーのみならず、バイクメーカーにも大きな影響が出始めた。具体的には、紫煙を吐きながら走る2ストローク車のイメージが悪くなり、対米輸出に陰りが出始めたのだ。

当時ヤマハは2ストロークエンジンを搭載する軽量・コンパクトなスポーツモデルを得意としてきたが、マスキー法の推進で、2ストスポーツは絶滅を免れないという予測もあった。ならば、技術の粋を集め、2ストスポーツの集大成となるモデルを造ろう、ということで企画・開発されたのがRZ250だった。

画像: ヤマハ「RZ250」特徴

レースシーンで培ったノウハウを惜しみなく投入し、エンジンは市販レーサー・TZと同じボア・ストローク比を採用。排出ガス浄化のため燃焼効率が徹底的に見直され、燃料と2ストオイルの分離給油やCDI点火も導入された結果、最高出力は35PSに達した。これはリッター当たり140PSという驚異的なもので、当時の250ccモデルとしては異例の高性能だった。

この高性能エンジンとわずか139kgという軽量な車体との組み合わせで、RZは当時の花形だった400ccスポーツ車と互角のパフォーマンスを披露。ロードスポーツ車初となるカンチレバー式モノクロスサスペンションや前後キャストホイール、ハロゲンヘッドライトなど、当時最先端だった装備もどんどん投入され、精悍なスタイリングも好評だった。

結果、RZは発売と同時に大ヒットを記録しただけでなく、2ストロークスポーツの魅力を世界に再アピール。4ストロークモデルへとシフトし始めていた市場の流れを大きく変えることとなった。RZがなかったら、その後のレーサーレプリカブームはなかった、と言っても過言ではないだろう。

RZ350

画像1: ヤマハ「RZ250」1980年|持てる技術を惜しみなく注いだヤマハ渾身の2ストスポーツ【昭和の名車解説】

RZ250登場の翌年、1981年にはRZ350が発売された。347ccエンジンは45PSを発揮、その走りから当時「ナナハンキラー」と呼ばれた。

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