SP忠男レーシングチームのOB、大集合!

画像: 忠さんにお誕生祝の花束を渡すスペシャルパーツ忠男の新社長、大泉善稔さん 大泉さんのインタビューは月刊オートバイ25年3月号で♪

忠さんにお誕生祝の花束を渡すスペシャルパーツ忠男の新社長、大泉善稔さん 大泉さんのインタビューは月刊オートバイ25年3月号で♪

忠さんこと鈴木忠男さんといえば、マフラーメーカー、レーシングチームでおなじみのSP忠男の創始者であり、全日本モトクロスの草分け。69年の全日本モトクロス・セニア250クラスチャンピオンでもある!
その忠さん、1945年2月生まれで、今年で80歳! つまり傘寿! そのお祝いを、歴代のSP忠男レーシングチームのOBを中心としたメンバーが発起人となって、都内で行なわれました。
お祝いといっても、まぁ久しぶりにみんなで集まる飲み会ですな(笑)。

「気がついたらこんなに経ってるんだもんな。うちに来た時は子どもだったやつらがさ、大人になってエラくなって、今度は子どもたちにバイク教えてるなんて、すごいよ。大したもんだ」と忠さん。
少し忠さんのヒストリーを紐解くと、1960年に15歳で初めてモトクロスに出場して、65年にヤマハワークスライダーに。その後、69年に全日本チャンピオンとなると、その後はケガとの戦いが続き、30歳を迎えるころに現役生活を引退してしまいます。

1976年には、マフラーやサスペンションなど、いまで言うカスタムパーツを製造・販売する「スペシャルパーツ忠男」を創立。SP忠男レーシングチームを設立したのはその後、78年頃だ。
「チームは、最初ミニバイクとか筑波選手権なんかを走ってたんだけど、何人か速いのがいてさ。はじめて全日本に出たのが84年かな。それが塩森(俊修)だよ。最初は1年で辞めちゃうつもりだったんだけど、塩森は速いし、たくさん若いライダーも集まって来たからさ、それで続けたようなもんだよ」(忠さん)

SP忠男レーシングチームは、その頃のロードレースブームにも乗って、ヤマハの名門チームとして頭角を現わすことになります。塩森さんをはじめ、町井邦夫さん、福地学さんなんかが第一期のライダー。その後も、原田哲也、中野真矢、松戸直樹と「憧れのSP忠男に入って、ヤマハのワークスライダーに」というルートも出来上がっていきます。日本のオートバイがスーパースポーツ=レプリカブームなんて言われた時期に、爆発的に増えたスポーツバイクファンと高まるレース熱、その真っただ中にSP忠男があったのです。

画像: 「シンヤも自分のチームで頑張ってる。子どもたち育てて、俺からしたら孫だよな、ガハハハハハ」(忠さん)

「シンヤも自分のチームで頑張ってる。子どもたち育てて、俺からしたら孫だよな、ガハハハハハ」(忠さん)

忠さんからスタートした、SP忠男の代名詞「目玉ヘルメット」を憧れの気持ちで見ていたライダーも、この日の傘寿のお祝いに駆けつけていました。
「あの目玉ヘルは、僕らの前の世代の先輩なんか、速くならなきゃ使わせない、ってデザインだったんです。だからもう、カッコよくてカッコよくて。僕が見ていたのは(原田)哲也さん。カッコよかったんですよぉ」というのは、かつて鈴鹿4時間耐久を制し、98年に全日本GP250チャンピオンとなって世界グランプリへ挑戦、GP500もMotoGPも、その後はアプリリアでWSBKも戦った、56デザイン代表、中野真矢だ。

「社長(注:忠さんのことを門下生はみんなこう呼びます)くらいですよ、全日本に出ているビッグチームなのに、京葉とか千葉北とか、ミニバイクコースにわざわざ来てくれてたの。ある日、僕が走るレースに社長が来てくれていて、オーディションだ、って聞かされたあとに、トップを走りながら転んじゃったんです。あぁダメだったかぁ、って落ち込んでたら、お前面白いじゃないか、ってチーム入りを許可してくれた。あの日がなければ、いまの僕はありません」(中野)

画像: 忠さんとゆかいな仲間達「ああ言えばこう言う会」の面々。ハルクプロの本田重樹さんもメンバーです(笑

忠さんとゆかいな仲間達「ああ言えばこう言う会」の面々。ハルクプロの本田重樹さんもメンバーです(笑

そうやって、チームを卒業してもレースを止めても、忠さんを慕うOBはたくさん。SP忠男レーシングチームのOBたちだけじゃなく、OVERレーシングの佐藤健正さんや、ギルドデザインの山口直彦さんははるばる鈴鹿からいらしていたし、最遠方賞は「ぼく多分SP忠男にいちばん長く在籍してたはずです」という大崎誠之。テクニカルガレージRUNの杉本卓弥さんは、来場してくれたゲストをとりまとめて、ケアしていました。忠さんは、こういう暖かい人たちに囲まれているんですね。

「仕事仲間は別にしてさ、チーム員だったみんなは、子どもみたいなもんだよ。(原田)哲也とかは中学生だった? (中野)シンヤとか(松戸)直樹は小学生から知ってるもんな。そのシンヤが、もう47歳だっていうんだから、俺も80になるはずだよ、ガハハハハ」(忠さん)

画像: この辺がSP忠男レーシングの最年少かな。左から原田伸也、中野真矢、大崎誠之

この辺がSP忠男レーシングの最年少かな。左から原田伸也、中野真矢、大崎誠之

画像: いろんな世代の忠さんの「子ども」たち。本誌とももう40年以上お付き合いいただいてます!

いろんな世代の忠さんの「子ども」たち。本誌とももう40年以上お付き合いいただいてます! 

日本のロードレースのいちばんアツかったころを支えて、盛り上げてくれたSP忠男レーシングチーム。今はレース活動はお休みしていますが、門下生たちは、どうもSP忠男レーシングチームという名前で、またレース活動をやりたいとかなんとか、いろいろ計画しているようです。
楽しみに待っていましょう!

写真・文責/中村浩史

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