文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事はウェブサイト「ロレンス」で2025年3月26日に公開されたものを一部編集し転載しています。
砂浜時代は4回、スピードウェイに移行してからは14回の連勝がありましたが・・・
英国のマン島TT、フランスのボルドール24時間、そして日本の鈴鹿8耐と、モータースポーツの伝統国にはその国を代表する「クラシック」なイベントがありますが、デイトナ200マイルは米国のそれにあたります。
初期のデイトナ200マイルは、デイトナビーチの砂浜に3.2マイル≒5.1kmのコースが設定されていました(1948年以降、4.1マイル≒約6.6 kmにレイアウト変更)。「ビーチ時代」のデイトナ200マイルでは、ベン カンパナーレ(1938〜1939年)、ディック クラムフォス(1951〜1952年)、ジョー レナード(1957〜1958年)、ブラッド アンドレス(1959〜1960年)の4名が連勝を達成しました。
クラムフォスのノートン以外の3名のマシンはハーレーダビットソンで、ちなみに同ブランドはビーチ時代に最も多くの勝利数(10勝)を記録しています。1961年以降デイトナ200マイルは、新設されたバンクを持つ舗装コースのデイトナ スピードウェイに舞台を移すことになりますが、スピードウェイ初期の1960年代にはロジャー レイマン(1964〜1965年)とカル レイボーン(1968〜1969年)のハーレーダビットソンライダー両名が連覇を成し遂げています。

1970年のデイトナ200マイルでホンダCB750Rに乗り、優勝したD.マン。ホンダチームとしては英国人GPライダーたちが「本命」でしたが、チーム唯一の米国人であるベテランのマンが、記念すべき日本車初のデイトナ200マイル制覇を成し遂げました。翌年マンはBSA ロケット3を駆り、見事連勝を達成しています。
しかし1970年代に入ってからは、ハーレーダビットソンはデイトナ200ウィナーの座を手中におさめることができなくなりました。F750およびF1のカテゴリーだった1984年までの期間、デイトナ200マイル連勝を達成したのはディック マン(1970〜1971年)、そして日本のGPファンにもおなじみのケニー ロバーツ(1983〜1984年)の両名しかいませんでした。
1985〜2004年のスーパーバイク時代に、デイトナ200マイルで連勝したのはスコット ラッセルとマット ムラディンの2人。「ミスター デイトナ」の異名を持つデイトナ200マイル最多勝(5勝)記録保持者のラッセルは、1994年にカワサキ、1995年にヤマハに乗り最初の連勝を達成。キャリア2度目の連勝は1997〜1998年で、マシンはともにヤマハでした。
2000〜2001年に連勝したムラディンは、豪州出身者初のデイトナ200マイルウィナーでもありました。余談ですが、ラッセルとタイ記録の通算5勝を誇る名手、カナダ人のミゲール デュハメルは連勝をなし得ていないので、この事実からもいかにデイトナ200マイルで連勝するのが難しいことなのかがわかります。
北米でのロードレース活動も、重要視しているドゥカティ
フォーミュラ エクストリーム(2005〜2008年)、デイトナ スポーツバイク(2009〜2021年)、そして今日に至るスーパースポーツ(2022年〜)と、デイトナ200マイル参加車両は変遷していくことになりますが、21世紀に入ってからデイトナ200マイルに対する世界の注目は低下していくことになりました。
バンクのある外周の高速バトルが長年デイトナ200マイルの「売り」のひとつでしたが、2009年以降は危険性への配慮から4気筒600ccなどのスーパースポーツ系となり排気量がダウン。そして2015年の「モト アメリカ」成立以降のデイトナ200マイルは、AMAロードレースのカレンダーから外れた「ローカル」な一戦となってしまいました。
なおスーパースポーツ系の参加車になってからの時代では、ダニー エスリックが2回(2014年トライアンフ、2015年スズキ、2017年〜2018年ヤマハ)、ブランドン パーシュ(2021年ヤマハ、2022年トライアンフ)がデイトナ200マイル連覇を記録。そしてドゥカティ パニガーレV2に乗るジョシュ ヘリンは、2023〜2024年にデイトナ連覇を成し遂げており、今年歴史上初の「3連覇」をかけて3月9日の決勝にのぞむことになりました。

北米におけるドゥカティのロードレース活動を担い、ファクトリー支援を受けている「ウォーホースHSBKレーシング」に所属するジョシュ ヘリンは、昨シーズンにダグ ポーレン(1993年)、トロイ コーサー(1994年)に続く、ドゥカティを駆った3人目のAMAスーパーバイク王者になりました。
www.ducati.com今年のデイトナ200マイルは、レース中盤の雨と、その再開時のクラッシュで2度中断がありましたが、ヘリンは冷静なレースマネージメントを実践。終盤の51周目には1分47秒879というラップレコードを記録し、2〜3位争いをするライバルに5秒33の差をつけて見事3連勝を危なげなく達成しました。

ゴールラインを駆け抜けるジョシュ ヘリンとドゥカティ パニガーレV2。2010年の初優勝を加え、ヘリンは通算4勝となりダニー エスリックに並びました。来年度は、スコット ラッセルとミゲール デュハメルが保持する最多勝(5勝)記録に挑むことになります。
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家族、チームスタッフとともに、「3」のハンドサインをして勝利を喜ぶジョシュ ヘリン。
www.ducati.com先述のとおり、今はローカルな一戦となったデイトナ200マイルですが、北米市場を重視しているドゥカティにとっては大事なレースのひとつといえるでしょう。昨年7月、DNA(ドゥカティ ノース アメリカ)は2020年からスタートしたウォーホースHSBKレーシングとのパートナーシップを、5年先となる2029年まで延長することを公表しています。
このコラボレーションの主戦場となるのは、パニガーレV4 Rを使ったモト アメリカのスーパーバイク選手権ですが、パニガーレV2によるデイトナ200マイルの好成績も、北米市場におけるドゥカティのプロモーションとして大いに役立つとDNAは考えているようです。今から来年の話をするのも変ですが(苦笑)、2026年度に4連勝と記録が更新されることになるのか・・・注目したいです。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)