デイトナ200で開花した「もうひとつのローソンレプリカ」
1985年に発売されたFZ750は、ヤマハ初のスポーツビッグバイクだった。エンジンは従来の空冷2バルブ4気筒から水冷5バルブ4気筒となり、このエンジンをベースに製作されたのが、85年の鈴鹿8時間耐久レースに出場したワークスレーシングマシン、FZR750だ。
さらにヤマハは、当時のビッグマーケットであるアメリカでの販売拡大を期して、AMAスーパーバイクへの参戦も開始。レース用キットパーツの販売は好調だったが、85年は有力ライダーを獲得することができず、最高位2位、ランキング6位と低迷。そこで、捲土重来を期して翌86年に、AMAシリーズチャンピオンと同等の栄誉とされるビッグレース、デイトナ200マイルの優勝を狙って製作されたのが、写真のワークスFZ750だ。
ここで紹介するゼッケン4番のFZ750はエディ・ローソン車。この年のデイトナ200マイルレースは、のちのWGPチャンピオン、ウェイン・レイニーやケビン・シュワンツ、この年のAMAチャンピオンのフレッド・マーケル、そして全日本TT-F1チャンピオンの辻本聡が揃うという、今から考えると非常に豪華な顔ぶれだった。
このレースで、ローソンは世界GPチャンピオンの貫録を見せつけてポールtoウィンで優勝。後に辻本が「エディだけレベルが違った」と述懐するほどの独走優勝だった。開幕戦であるデイトナ200マイルレースにだけスポット参戦したローソンが優勝した後、ヤマハFZ750レーサーは、86シーズンはシリーズランキング5位に終わっている。
ベースはこのマシン! YAMAHA FZ750(1985年)
ヤマハ初の本格4ストビッグスポーツモデル。世界初となる、1気筒あたり5バルブのDOHC4気筒エンジンを45度前傾させてダブルクレードルフレームに搭載。吸気効率に優れるダウンドラフト吸気や低重心、マスの集中などを実現した意欲作で、この「ジェネシス」エンジンは後のFZRシリーズへと受け継がれていくことになる。