5連覇をかけて令和初の鈴鹿8耐に挑んだヤマハが、YZF-R1に施したカラーリングは、薄紫の“レジェンドカラー”だった――。
1985年日本中を巻き込んだ、伝説の夏。そして34年の時を経て復活を遂げた2019年の「TECH 21」カラーを解説する。
1985年日本中を巻き込んだ、伝説の夏。そして34年の時を経て復活を遂げた2019年の「TECH 21」カラーを解説する。
ヤマハが盤石の態勢で投入した4ストレーサー「FZR750」

1980年代中盤、日本に紛れもなくレースブームが巻き起こっていた。
その中心にあったのが鈴鹿8時間耐久ロードレース。そして1985年には、その人気を加速させるエポックメイキングな出来事が起こった。
2年前に世界グランプリを引退したはずの「キング」ことケニー・ロバーツの鈴鹿8耐参戦と、そのペアライダーとして当時の日本最高の実力と人気を誇る平忠彦が組むというビッグニュースだった。
その2人がライディングしたのが、ヤマハが鈴鹿8耐用に初めて開発したワークスマシン「FZR750」。

メインスポンサーには、異業種中の異業種、資生堂の男性用化粧品「TECH 21」が名乗りを上げていた。
初登場のケニー&平組のTECH 21 FZR750は、トップを独走しながら終了30分前にストップというドラマチックな結果を残し、主人公だった平は、TECH21カラーのマシンで優勝をつかむまで、その後5年間を要することになる。
勝てそうで勝てない、しかもドラマチックに負けていく――敗者の美学が形作った伝説だった。

1985年の鈴鹿8耐/66周目にトップに立ってからはずっと独走。そして残り30分、悲劇のドラマの幕が上がる。

1985年のFZR750は切り立った、大きなデザインのヘッドライトケースが特徴。

メーターの両脇に伸びているホースは、エアクリーナーに直接新気を送り込む「FAI」。

タイヤはミシュランのラジアル。回転方向の矢印までもが紫だ。ホイールはマルケジーニ。