驚くべき加速性能と乗り手を選ぶハンドリング
1966 年に登場した250cc のA1(サムライ)、1967 年の350ccA7(アベンジャー)の北米市場における成功を収めたカワサキは、絶対的な加速を誇る高出力車の開発に着手。空冷2 ストローク並列3 気筒エンジンを搭載する500SS マッハIII がそれである。
1969 年はじめには対米輸出用の生産を開始した500SS は、日本国内では北米よりやや遅れて1969 年9 月より販売されている。
発売当時のアメリカでは、まだ大きな燃料消費及びオイル消費、猛烈な白煙などには寛大であり、1000 ドル以下といいうリーズナブルな車両価格や、0 → 100m で約4 秒というカタログスペックを誇った圧倒的な加速性能もあいまって販売成績も好調であった。
また、従来のタイヤでは500SS のパワーに耐え切れずテスト走行中にトレッド剥離が続発したため、ダンロップが新しくH 規格のナイロンコードタイヤを500SS のために開発したという。
一方、少ない前輪荷重などで生み出されたハンドリングについては万人向けとは決していえないもので、「乗り手を選ぶ」というイメージが世界各国で定着したことも個性的なモデルを象徴するものとなっている。
1972 年のZ1 発表以降は、最高出力を下げマイルドな方向への性格付けが行われ、1975 年にKH500 と名称変更したモデルでは排気ガス規制および騒音対策のため最高出力が 52PS と大幅ダウン。さらに、DOHC4 気筒のZ650 が1976 年に発表になったこともあり1977 年モデルをもって製造を終えている。
耳から、手足から、鼻から伝わるあの頃の衝撃的な感覚
写真のマッハは69 年型の輸出仕様。仕事柄、絶版車に接する機会が多く、Z 系やCB 系、カタナ系にはずいぶん乗ったが、なぜかマッハ系とは縁がなく、およそ35年ぶりの再会だ。
幸い、用意していただいた車両はショップのメンテナンスが良く、現役時代に近いフィーリングを味わえた。「近い」というのは、中高回転域のキャブレターセッティングがやや濃いめになっていたから。エンジンの焼き付きなどのトラブルを防ぐためだろうが、5000 回転からのジキルとハイド的な豹変は感じられない。
後日インタビューの機会に恵まれた、開発ライダーを努めたミスターカワサキこと清原明彦氏も、試乗後に『ホンマやったら5000(回転)くらいからカーンッ! ゆうてウイリーしよるんやけどな。ま、このくらいのほうが、今のライダーには乗りやすいやろ』と語った。
とはいえ、アクセルを一気に開けたときの、現代のレーシングマシンより大きいんじゃないかという吸排気音と、ビリビリした振動を伴う荒々しい加速感は当時と同じ。耳から、鼻から、手足から、あの頃の感覚が蘇る。
フル加速すると山火事でも起きたのかと思うほど盛大な白煙を巻き散らすのがお約束のマッハだが、この車両が吐く白煙は見る者を不安にさせるほどではない。撮影の際は意図的にアクセルを大きく開けてオイルの吐出量を増やしたが、それでも当時の半分以下の量で、匂いも薄い。30 数年の間にエンジンオイルが大きく改良されたのだろう。
現代のオートバイと比べれば加速力も最高速もたいしたことはない。握力を鍛えたくなるほどブレーキの効きは甘いし、手足はもちろん、尻まで痒くなるほど振動も大きい。今の「よくできたバイク」という基準で見れば欠点だらけなのかもしれない。
だがマッハを愛する人たちは、きっとその欠点さえもが可愛いのだろう。17 歳の僕がそうだったように。そしてその魅力は今なお鮮烈だ。
文:太田安治 写真:松川 忍
車両協力:ウエマツ www.uematsu.co.jp