快晴の朝、出発。レブル250はフルスロットルでなくても絶好調
250cc単気筒のエンジンが一生懸命頑張ってくれているのが伝わってくる。意外なほど快適に、ハイペースでここまで走れた。村田ジャンクションが現れ、東北道北上の旅は終える。ここからは山形道。あの恐ろしい町まで、あとわずか50kmくらいだろうか――。
将棋にハマってしまったのは、およそ2年前のこと。藤井聡太四段(当時)の中学生でのプロデビューとその後の連勝、それがきっかけだ。それまでは小学生の頃に覚えた駒の動かし方を知っているだけだった。
当時、ちょうど30歳。30の手習いが始まった。
ハマってしまった、という書き方をしたのには理由がある。
あまりにも、のめり込みすぎる。仕事以外、すべての時間を将棋に使ってしまう。将棋は悪魔のゲームだ。
そして、僕がハマった理由はもうひとつ。将棋は「旅」とよく似ていた。
いつもの家から出発し、だんだんと知らない道になり、見たことのない景色が現れる感覚。
それを求めて、よく海外旅行をしていたが、ぱったりとやめてしまった。
盤上では、2手目に知らない世界が現れることもある。
東京から山形県天童市までは、約400km。9月末、レブル250で2泊3日の将棋武者修行に出かけることにした。
出発当日。雲ひとつない快晴、気温もちょうどいい。
首都高を抜け、必ず寄らなければならないパーキングエリアで最初の休憩を取る。
東北道の羽生PA。こんな日ばかりは「はぶ」と読めてしまう。願掛けの気持ちで立ち寄りたかったのだ。
その後も快調に、クルーザールックの250cc単気筒バイクは僕を北へと運んでいってくれる。
もっと辛いかと思っていたが、小排気量車ながら、余裕がある。誰よりも早くぶっちぎる! なんて気持ちにさせられないのもいい。そこそこのスピードで走るクルマをペースカーと決めて、気楽に走っていた。
ただ、数時間走ると脚は疲れてきた。シート高690mmというスクーター以上の足つきの良さが裏目に出る。走りながら、脚をぶらぶらさせられない。ステップから足を少しでも離すと、即地面に接地してしまうのだ。
それでもまあ、直進安定性が高く、高速道路ツーリングは得意なバイクと言えるだろう。姿勢もゆったりしていて、1~2時間に一度の休憩を取れば、一日中走っていられそうだ。
ちなみにこの色のレブル250を個人的に「フルスロットルで行こうぜ!号」と呼んでいる。
その理由は、声優・西田望見さんのデビュー曲のPVに使われているから。
村田ジャンクションを過ぎ、山形道へと入る。
ふと、一年半前の記憶がよみがえった。
2018年4月に天童の舞鶴山で開催された「人間将棋」を観に行ったときのことだ。ちょうど桜は満開。のんびりとした会場で、さまざまなイベントが行なわれる、楽しいお祭りだった。
僕はプロ棋士の対局を生で見て、手の意味が分からないながらも感動し、その後、天童駅周辺のお土産物屋で将棋グッズを買いあさった。
このとき、将棋歴は約10カ月。大好きなバイクで、大好きな将棋イベントへ行く。これ以上に幸せな旅はないと、ウキウキだった。
あの場所を発見するまでは……。
「天童将棋交流室」。駅ビルの1階にある、将棋資料館に併設された無料の将棋道場である。
せっかくだから本場の人と指してみたい! などと軽く思ったのが甘かった。
地元の大人には成り駒ひとつ作らせてもらえず、小学校低学年の子供たちには猛烈な攻めをくらい、あっという間に負けた。
結果3戦3敗。4戦目に挑む気力は残っていなかった。
山形道のクネクネした心地よい高速道路はすぐに終わりを告げた。山形北インターで降り、あとは下道を10km弱ってところだろう。
青看板に「天童」の文字が見えた。
途端に吐き気を催す。
前日まで、この日が楽しみで仕方なかったのに、いざ近づいてくると怖い。怖くて仕方がない。また、ボコボコにやられるんじゃないか……。
僕がこれまで触れ合ってきた将棋を指す人は、いい人が多かったと思う。いまでは、なじみの店となった新宿ゴールデン街にある将棋酒場「一歩」の方々など、みんな下手くそな僕にていねいに教えてくれる。
ただ、世の中には、きびしい人もいる。完敗となった終局直後、「将棋になってねえ」と言われたこともある。
また、道場などで子供と指し、負けた後の感想戦、これが辛い。
いい年した大人が、小学生に指し終えたばかりの将棋の悪手を教えてもらう。感想戦の最中、自分が何を指したか忘れてしまっていることもしばしばで、「そっちじゃなくてこう指してたよオジさん」と指摘される。
天童市内に入った。とりあえず、とても指せるモチベーションではなくなってしまっていたので、腹ごしらえをしておこう。
前回、人間将棋の際は大行列で入れなかった「水車生そば」で、名物の元祖鶏中華をいただく。
う、美味い。美味すぎる。
あれ? そういえば、これを食べるために天童へ来たんだっけ。目的を達成したから帰るか、と思いたくなる。
エネルギーを充填したところで、さあ指すか!……とはならない。とりあえず観光はしておこう。
これがどのくらいのサイズなのかと言うと……
いろいろめぐっているうちに、ホテルにチェックインできそうな時間になった。バイクと荷物を置いて、よし指すか!
……ともならず、ベッドを見たら「一回寝ておくか」という気持ちが勝ってしまった。
起きたのは16時。武者修行に来たつもりなのに、「天童将棋交流室」の閉館時間は残り2時間にまで迫っていた。
もうさすがに指すしかない。ホテルから徒歩1分。よし、行こう、もう言い訳が見つからない。
結果をお伝えしたい。3局指して2勝1敗だった。
初戦を落とし、やはりだめかと思ったものの、初戦と同じ年配の方に辛勝。そして3局目は地元の小学生になんとか勝った。
もう充分だ。充分すぎる。
当初、僕の中でこの旅のコンセプトは「将棋漬けの3日間」だった。昼間は道場、夜はホテルでネット将棋と予定していたが、もういい。祝杯をひとりであげることにした。
天童は駅前とは別に歩いて15分ほどのところに温泉ホテルが建ち並んでいる。そこに酒場が軒を連ねていた。
バーっぽい店で、ひとりビールやカクテルを飲んだ。うわぁ疲れた、長い一日だったぁと思うと同時に、まだまだやっぱり指したりないという気持ちが湧いてきた。
早く帰って明日に備えよう。
帰りがけ、暗闇の中、歩道に描かれた詰め将棋をひとつずつ解いていく。夜風は冷たく、縦に配列をされた信号機を眺めていると、そういえば、東北に来ていたんだな、と思う。
詰め将棋が鉢植えに踏みつぶされているところもあった。
どんだけ将棋が日常に溶け込んでいるんだ。まだまだこの町の本領を見ていない、と心に言い聞かす。
昨年訪れたときの棋力は3級くらいだったと思う。その数カ月後、初めて訪れた道場で、まぐれ勝ちが続き初段の認定証をもらった。
それから、1年以上経過しているが、いまいち自分の棋力が分からないでいる。三・四段を名乗る方に勝つこともあれば、級位者の方にも平気で負ける。
天童滞在、2日目。一日中将棋漬け。
朝が来た。この日はもうバイクには乗らない!
ずっと「天童将棋交流室」に入り浸る。昨日の勝ち越しもあり、やっと本来の目的を果たす心構えができた。
週末だったため、朝10時に開き、18時まで指せるとのこと。開館と同時に向かった。
夕方、今日はもうおしまいでーす。と席主の方がみんなに伝える。
とにかく指した。地元の子供、そのお父さん、年配の方。さらに僕と同じような旅行者。
どの対局もぎりぎりの勝負ばかりで、脳みそフル回転だった。
結果をお伝えしたい。2日目は全10戦で、8勝2敗だった。
昨年のトラウマからようやく解放された気持ちだ。だけど、勝った将棋はどれも負けていてもおかしくない内容だった。
この「天童将棋交流室」での対局は、対局前に相手の方がどれくらいの棋力なのかが分からない。
何となく、空いている人同士で指す。だから、必ずと言っていいほど、
「にいちゃん強そうだね、東京からわざわざ来たの?」「いやいや、弱いから来たんですよ。本場の方に習いたくて」とか、
「私、弱いんで教えていただけますか」「いや、僕も弱いんで逆に……」のようなやりとりがある。
そして、指し始めてすぐに気づく。「ふざけんなよ、普通に強いじゃねーか」と心で思うのだ。
ただ、それが好きだ。アプリで指す将棋も楽しいけれど、やっぱり駒を手で動かすのがいい。手付きを見れば、経験値が分かる。視線を見れば、攻めと受けどちらの手を読んでいるのかが分かる。
そんな人間同士の駆け引きが病みつきになる。
ひとつ嬉しいことがあった。
僕はどの対局も真剣そのもので臨んだ。マジすぎて相手の方にひかれているかもしれないとも思っていた。エアコンがんがんで寒いくらいなのに、額だけはじっとりと汗をかいていた。
ある子供のお父さんとの対局のときのことだ。終盤の手前から一手で勝ち負けが決まりそうな、際どい将棋だった。
終局後、それまで一言も発しなかったのに、「これ見てくださいよ」と若いお父さんは、手のひらを広げた。汗をびっしょりかいている。
僕もハッと我に返り、額の汗をぬぐった。
「熱い対局でしたね」と言ってくれたことが忘れられない。
3日目、この日は東京に戻らなければならない日、「天童将棋交流室」にお礼だけして帰ろうとすると、昨日指した青年が待っていた。
「今日は勝ちますよ、対策考えてきたんで。一局だけ指しましょう」
この言葉も嬉しくてたまらなかった。僕に負けたことを悔しく思ってくれた人がこの町にできた。
一年半の成果として、これ以上のものはない。
その対局もやはりぎりぎりの勝負だった。
「来年春、人間将棋のときにまた天童に来てくださいよ、次は絶対負けませんから」
将棋は旅と似ている。生きている限り、何度でも旅に出たい。できれば、より面白い旅へ。
文・写真:西野鉄兵