「正真正銘、ヤマハ最後の2ストロークスポーツ」
1957年に登場したYD1からスタートした、ヤマハ製の2スト250cc2気筒スポーツモデルの系譜は、60~70年代を通じてYDS~DS~RDへと進化を続け、その優れた性能によって日本国内はもちろん世界的にも高い支持を集めるようになっていく。
しかし60年代から問題になってきた自動車の排気ガスなどによる大気汚染によって、70年代に入ると北米を皮切りに排気ガス規制が本格的にスタート。
さらに2回のオイルショックの影響もあって、パワーを犠牲にせずに排気ガス対策するのが難しく燃費も悪い、空冷2ストエンジンを搭載したスポーツバイクは急速に人気を失っていく。その結果70年代末に2スト・スポーツは風前の灯火と思われるようになっていた。
当時の空冷だったヤマハ製2ストスポーツのRDシリーズも例外ではなく、全盛期の人気は影を潜めていた。そんな状況の中、ヤマハはあえて「正真正銘、最後の2ストロークスポーツ」を開発するという決断をする。
2ストならではのシンプルなメカニズムで、2ストでなくては実現できない走りの爽快感、胸のすくような加速フィーリングを実現する。そんな2スト復権の切り札として開発されたピュアスポーツがRZ250だったわけだ。
世界中のサーキットで絶大な支持を集めていた2スト市販レーサー・TZ250の技術をダイレクトに取り入れ、エンジンの水冷化によってハイパワーと排ガス規制を両立させると共に、徹底的な軽量化も追求。
RDまでの長い歴史で培った優れたハンドリング、GKインダストリアルの手になるレーシーで美しいスタイルとも合わせて、究極の2ストと呼ぶにふさわしい高性能を実現する。
1979年の秋に9月のパリショー初公開されるや全世界で大きな反響を呼び、同年の東京モーターショーでも注目度ナンバー1。国内発売は1980年の8月からだが予約が殺到、販売店同士が割当を奪い合うほどの大人気となった。
さらに翌年には排気量を拡大したRZ350が追加され、ハイパワーなナナハンキラーとしてRZ人気がさらに加熱。消滅の危機に貧していたヤマハ2ストスポーツどころか、他メーカーの2ストスポーツの息をも吹き返させ、後のレーサーレプリカブームのきっかけにもなったRZ250。まさに歴史的な名車と呼ぶべき存在なのだ。
DETAIL
文:小松信夫
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