新たなビッグスクーターブームへ向けて、ヤマハが方向転換の舵を切った三代目マジェスティ
2000年を前後してビッグスクーターのブームがあった。各メーカーともに250ccのスクーターがよく売れたが、中でもヤマハのマジェスティがヒット作だった。
今回の写真はそのマジェスティの2007年にフルモデルチェンジした3世代目の前期型。
ビッグスクーターは大人の乗り物として登場したのに、ブームとともにカスタム車が増殖。俺的にはヤマハが大人のライダーためのビッグスクーターを再提案したのが、この三代目マジェスティだと思っている。
今見ても各部の仕上がりが凝っている。高級乗用車を思わせる灯火類など、一歩抜きん出たデザインが好きだった。
カスタムスクーターの多くはガキっぽいと思っていただけに、大人のためのスクーターを大人っぽく撮る機会がもらえて嬉しかった。
ネイビーカラーの車両は2007年の試乗会の時に撮影したもの。ブラックはワイズギアのアクセサリーパーツ装着車。この2台の写真は『ゴーグル』とともに、マジェスティのムック本にも使用された。
グレーの車両は翌年の『ゴーグル』の連載コラム用。こうして何度も登場するあたりに、当時のブームが窺い知れる。
ヤマハ純正カスタムとも言えるワイズギア車に装着された部品の多くは、クロームのドレスアップパーツ。クロームは当時、ハーレーなどの大型バイクにも「車検が通る大人向けのカスタム」として人気だった。
このマジェスティには、ハンドルのスイッチボックスやレバー、ミラーやプーリーケース、スイングアームのクロームカバーまで装着されていた。
その中でも俺が注目したのはクロームのホイール。四輪ではデザインを重視した(あえて言うと)ファッションホイールが昔から普通なのに、二輪の世界ではまだノーマルホイール以外は機能最優先のレーシングホイールのみ。せいぜい色を車体色に合わせる程度。
ドゥカティのディアベルが「切削光輝ホイール」で俺たちを驚かせたのは4年後の2011年。
それを思うと2007年に登場したこのクロームホイールは、センス的にはかなり先を行っていた。コスト的に厳しかったはずだし、ワイズギアとしての思い切ったチャレンジだったと思う。
ワイズギア車の撮影はヨットハーバーで行なったが、現地に行く前は「置いて撮れば絵になる」いわゆるロケ勝ちと言うロケーションだと思っていた。
ところが、ヨットは腹の下にバラストがあって思っていたよりも高い位置に置いてある。マジェスティとフィットさせるためにローアングルの連発になって苦労したのをよく覚えている。
トーンダウンしていくスクーターブームの中で、残念ながらヒット作とは言えなかった三代目マジェスティ。クロームパーツのブームも時代ともに下火に。
でも「大人が大人のままで乗れる乗り物だった」と覚えておきたい1台だ。
写真・文:柴田直行
柴田直行/プロフィール
柴田直行 しばたなおゆき
1963年3月生まれ
横浜市在住
オートバイとライダーをカッコ良く撮るのを生業にしているカメラマンです。
ホンダVT250Fが発売になった1982年(19歳の頃)にオートバイブームに乗じて雑誌編集部にバイトで潜入。
スズキGSX-R750発売の翌年1986年に取材のため渡米。
デイトナでヤマハFZ750+ローソンの優勝に痺れてアメリカ大好きに。
ホンダCRM250R発売の1994年に仲間とモトクロス専門誌を創刊して、米国系オフロードにどっぷり。
カワサキニンジャ250が発表された2007年から、ゴーグル誌でも撮影を担当し現在に至る。
オンでもオフでも、レースでもツーリングでもオートバイライフが全部好き。