佐々木優太さんに「御朱印」とは何かを語ってもらった。なぜこれほどまで神社に魅了され、御朱印を集め続けているのか?
※この記事は月刊オートバイ2018年7月号で掲載したものを加筆修正しております。
始まりは突然やってきた
その日は突然やってきたのです。いつものように、東京の自宅で寝ていました。すると、僕はいきなり起き上がったのです。起き上がったと言うより、立ち上がったと言った方がいいでしょう。
自分でも何が起こったのか、わかりませんでした。ただ、一つだけ頭に浮かんでいる事がありました。
それは「今すぐ伊勢神宮に行かなければ!」と言うこと。
もしかしてこれって、よく映画やマンガで見かける「お告げ」ってヤツか? と、思いましたが…。
どうやら違うようです。なぜなら自発的に立ちあがり、自分から伊勢神宮に行こうとしているのだから。とにかく居ても立っても居られなくなり、出発することにしました。
当時まだスマホを持ってなかった僕は、インターチェンジなどの大まかな地図を数枚プリントアウトして、取り敢えずの着替えをヒップバックに詰め込んで、ドゥカティ916(当時の愛車)に火を入れたのです。
真夜中に、伊勢へ向けて出発。まさかこれが、今に続く神社巡りの旅の始まりだとはつゆ知らず…。
平成22年の9月のこと。つまりは、自由な時間があったのでしょう。バイクで向かう目的地を探していたのかも知れません。そう、疾走る理由を探していただけなのかも。
何より当時の僕自身が「不思議体験」を信じていませんでしたから、お告げかどうかは今もわかりません。
深夜に東京を出た僕は、朝に伊勢神宮へ到着しました。
急に思い立って、ドラマチックに疾走ってきたものの、いざ着いてみると特別なことは何もありません。取り敢えず参拝をします。
この頃は、参拝の方法もろくに知りませんでした。神社と寺の違いも、あまりわかっていませんでした。地元の人に聞いて、伊勢神宮には内宮(ないくう)と外宮(げくう)があるんだと初めて知ったほど。2カ所を順に参拝をしました。意外にサラっと終わってしまいました。
そこで記念になるものを買って帰ろうと思い、それらしき窓口へ。そこで手に取ったものが「御朱印帳」でした。何を隠そう「せっかく遠くまで来たから、記念に買って帰ろう」と言う動機が最初でした。
この時に伊勢神宮で受けた御朱印が、人生初の御朱印になったのです。買った御朱印帳を、どう扱っていいかわからなかったのを、今でも覚えています。
東京へ戻った後、明治神宮や日光東照宮などの有名な神社へも出かけてみました。それらの神社でも、御朱印が貰えるかもと思ったからです。
そうして次々と、思い当たる神社へ出かけて行きました。すると、徐々にいろいろな事が気になり出したのです。建築様式の違いや、神様の違い等…。神社は、北海道から沖縄県まで、全国に存在します。
なのに「神社」と一言で言っても、その種類や違いは様々。実は決まったルールというのは、無いに等しいのです。
例えば旅先で訪れた神社。そこには、その神社特有の歴史や価値観があり、また別の神社にはそこ特有の価値観があります。
一見同じに見える「神社」ですが、行ってこそわかる事が多くある事に気が付いたのです。そこから、僕の終わりの無い神社巡りの旅が始まりました。
そもそも「御朱印」ってどんなものなの?
神社や寺などへ参拝した証として、御朱印帳と呼ばれる帳面に記帳押印していただいたものを、御朱印と言います。
多くは神社名や参拝した日付を筆で書いたものに、朱印を合わせたスタイルです。勿論、誰でも始められます! 初穂料は、300円ほど。
参拝の記憶を、デジタルではなくアナログで手にできるところが魅力です。各地の神社などではオリジナルの御朱印帳が頒布されていて、それを集めるのも楽しみの一つですね。
御朱印の魅力とは?
全国のコンビニの店舗数は、約5万5000店あるそうです。では、神社はいくつ存在していると思いますか? 驚くことにコンビニの数をはるかに上回っています。
その数なんと、約8万社! 日本全国、北海道から沖縄県まで神社の無い県はありません。千年以上続く神社も、全国にたくさんあります。住んでいると気付きにくいですが、実は歴史が身近にある国なんですね。
その神社で、参拝した証にいただける御朱印。始まりは18世紀頃だと言われています。もともとは、神社や寺に納経(写経したもの等を奉納)した証に受けていたそうです。
しかし、当時は限られた人たちだけのものでした。交通手段が無いのもそうですが、そもそも自由な旅行が許されていませんでしたから。
それが一般の人たちに広がったのは、明治になってからだそうです。様々な呼び方があったそうですが「御朱印」と呼ばれるようになったのは、昭和になってからだとか。意外に最近ですよね。
さて、皆さんは朱肉とインクの違いをご存知でしょうか。
インクで押印されたものは、紫外線に弱いという特徴があります。かわって朱肉は、鉱物から作られたものなので、紫外線に強いのです。また、水にも溶け出しません。重要な書類に朱肉を使うのは、このためだったのですね。
千年以上前の書類に押印してある印影が、実際に残っている例も。これはスゴイ。「朱」は原料の鉱物に由来する色です。御朱印が朱色なのにも、意味があるのです。
そんな御朱印のイチバンの魅力は、人の手によって記帳押印されるところでしょう。例え同じ神社であっても、書き手が違えば字の雰囲気は全くの別物。もし書き手が同じ人でも、時々で押印する力具合などが変わってきます。
何より人とのコミュニケーション無しには、成り立たないものです。
僕が3000以上の御朱印をいただいているということは、3000人以上とのコミュニケーションがあったという証拠。そこに日付も書き入れられているとなると、これ以上の旅の記録はないと感じるのです。
北陸のとある神社でいただいた御朱印、その印は江戸時代から使われているものでした。つまり、僕は江戸時代の旅人と同じ御朱印を頂いた事になります。
その旅人と話すことも会うことも出来ませんが、なぜか繋がる事が出来た気がしました。収集する事に注目されがちの御朱印。それ以外にも、いただく理由や魅力がたくさん詰まっています。
神社を巡る理由がある
「なぜそんなに多くの神社を巡っているの?」と、よく尋ねられます。
平成22年の9月に伊勢神宮を参拝し、始まった神社巡りの旅。まもなく8年が経とうとしています(※2018年7月当時)。
参拝した神社は1万社以上になり、頂いた御朱印は3500を超えました。
神社を巡り始めた頃の目的は、知らない土地へ行ってみたかったからというのが正直なところ。
しかし、それだけの理由なら、目的地は何も神社である必要はありません。お寺や駅など、全国に存在するものは神社の他にもたくさんあるからです。
運命的なキッカケで伊勢神宮に行き、神社を知ったことは確かですが…。それだけでは、生涯をかけて神社を巡る理由にはなりません。
頂いた御朱印の数が1000を越えようとしていた頃、僕自身もその理由の無さに気が付き始めていました。そして1000というキリの良い数字で、神社巡りをやめようと考えていました。
そんなある日、とある神社を参拝した時のことです。御朱印を頂こうと、僕は境内で神職を探していました。そこで、掃除をされていた人に「神社の方ですか?」と声をかけました。
するとその人は、違うと答えたのです。その人は、誰に頼まれた訳でもなく自ら掃除をしていたのです。
この時僕は、ハタと気付いたのです。
神社を参拝するということは、その神社を建てた昔の人や、維持するために掃除をしてくださっている人たちの想いに触れる事なのだと。
似たように見える神社も、二つとして同じものは無いのです。それを知りたくて、それに出会いたくて、僕は神社巡りをしてきたのだと、その時に気付きました。
更に、こう考えました。日々神社巡りが出来るのは、時間や健康などの条件が揃っているからこそだと。
神社へ行きたくても行けない人がいる中、僕は毎日のように全国の神社へ旅が出来ています。だとすると、神社巡りの旅で見た景色や得た知識は、僕のためにあるのではないと思うのです。
行きたくても行けない人や、旅の話を待っていてくれる人のために、僕は神社を巡らせて頂いているのです。
そう気付き、僕は神社巡りをやめず、また旅を始めました。
今は、御朱印を集めたくて神社を巡っている訳ではありません。手元にある3500もの御朱印は、旅の結果なのです。
次の神社へ向かう理由…それは、その神社旅で出来た歌や話を、聞いてくださる皆さんに届けるためです。
その日を楽しみに…旅は続く!
「神社巡拝家®」佐々木優太の厳選!
伊勢神宮
三重県伊勢市宇治館町1
人生で初めていただいた御朱印です。日付と朱印のみのシンプルな構成ですが、まさにこれが「御朱印」というスタイルとも言えるでしょう。
太平山神社
栃木県栃木市平井町569
こちらも思い出深い御朱印です。神社拝走記の第一回目で訪れたのが、こちらの神社でした。
御朱印セレクション
勝沼神社
東京都青梅市勝沼3-140
一見すると普通の絵付き御朱印ですが、実はこの一対の狛犬の中に「カツヌマ」の文字が隠されています。遊び心が隠された御朱印です。
沙沙貴神社
滋賀県近江八幡市安土町
沙沙貴と書いて、ササキと読みます。そう、僕を含め全国の佐々木さんの心の故郷、佐々木姓発祥の地に鎮座する神社の御朱印です!
文:佐々木優太/写真:関野 温