スズキ「RG250Γ」の系譜
1983年 RGΓ(GP500ワークスマシン)
1983年当時のスズキ製GP500ワークスマシンがRGΓ。市販レーサーはRG 500からRGA、RGB、RGΓと進化し、スズキは1976年から7年連続で世界GP500クラスメーカータイトルを獲得。ライダータイトルは1976〜77年のバリー・シーン、1981年のマルコ・ルッキネリ、82年のフランコ・ウンチーニが獲得し、まさにスズキはこの頃、世界GP界でわが世の春を謳歌していた。
1984年4月 RG250Γ
1985年3月 RG250Γ
1986年4月 RG250Γ
1987年6月 RG250Γ
もしガンマがなかったら…日本バイク史は違うものになっていた
ユーザーにとってもRG250Γは「劇薬」だった。これ以降、凡庸なバイクでは刺激を産まなくなってしまった。RG250Γを越える過激さがなければ、ユーザーは満足しなくなってしまった。事実、RZ、VT、Γのあとは、「市販レーサーと同時開発」というキャッチコピーが当たり前となり、TZRやNSRといった、Γを越えるほどレーシングマシンに近いモデルしか市場をリードできず、レーサーレプリカ戦争は激化。
そうなると、戦闘力が高いモデル=難しくて一般のライダーが楽しみを味わえないモデルになってしまい、自然とマーケットは縮小してしまう。これがレーサーレプリカブームの終焉と同時に、バイクという市場そのものが縮小してしまった原因だ。
1989年、カワサキが400ccクラスに、あえて空冷2バルブ4気筒、鉄パイプフレームと2本ショックのゼファーを投入した時、事実上レーサーレプリカブームは終了する。RG250Γからゼファーまで、6年もの間、日本にレーサーレプリカという強風は吹きつけた。もしΓが誕生しなかったら、日本バイク史はきっと違うものになっていたに違いない。Γに対する、最高の賛辞である。
文:中村浩史/写真:堤 真一、松川忍
※この記事は月刊オートバイ2011年8月号別冊付録を加筆、修正、写真変更などの再編集を施しており、一部に当時の記述をそのまま生かしてある部分があります。