第三京浜はあの頃バイクカスタム界最大の情報発信地
今でこそバイクカスタムは、より乗りやすくするためというのが時代の本流となっている。否定するわけでもないが、今は車種別にカスタムパーツが出そろい、誰もがそれを気軽に装着できる。ある意味で便利な時代となった。一方で同じような車両が多数生まれる画一化が進み、オリジナリティを見いだすのが難しくもなった。
だが、バイク界でカスタムがブームとなったあの頃=1990年代は、「ほかと違う1台を仕上げたい」「自分なりの個性を主張したい」が主。今見れば切った貼ったという世界ではあったが、それすらも個性。そこにとてつもない熱気もオリジナリティもあった。クラスフォーエンジニアリングの横田さんは、ちょうどそんな頃の1988年にショップをオープンし、今に至るまで精力的にカスタムジャンルを引っ張ってきた。
「カスタムは人と違うことをしていくことですけど、速さのイメージだったり、実際に力があって速いとか、軽かったり、格好良かったりということを追い求めるものですよね。チョッパーのように、乗りやすいかどうかが必ずしも外からの評価の対象にはならないこともあります。でも、自分にとって何か良くなるという部分を意識してきたものだと思います。 ウチは開店からカスタムショップとしてずっとやってきましたから、ウケるウケないは別にして、常に新しい提案がしたいわけです。『ほら、こんなスタイルはどうですか?』っていうスタンス。
その開店の頃はカスタムブームの黎明期で、そんな情報、新しいスタイルを誰もが一生懸命探してた。ネットなんて発達してないから、雑誌で見るか何か話を聞いて現場に行って、見るしかない。その現場の代表が、第三京浜だったんです。保土ヶ谷パーキング。毎週末、土曜の夜になると有名なカスタムショップさんが自慢のデモバイクで乗り付けてくる。携帯電話もパソコンもまだまだな頃なのにウチのお客さん達は翌日曜の午後には『昨日、あそこのショップがすごいカスタム持ってきてた』なんて話してたから、今思えばすごい情報収集力だな(笑)なんて」
そんな中、クラスフォーは当時では珍しかったPM=パフォーマンスマシン製シケイン(当時はミッチェルと呼んでいた)17インチアルミスパンホイールを初めとしたアメリカ製パーツを多く採り入れた、ヨコハマ・クラスフォースタイルとでも言うべき車両群で脚光を浴びる。
「僕たちの先輩世代だと当時、富士スピードウェイでMCFAJが開いていたスーパー1000ていうレースに出ていたバイクをモチーフにしてカスタムしてました。いわゆるケツのカチアゲとか、太いタイヤは元々そこから来てます。足まわりはモリワキKYB、スイングアームはマイティプロダクト、18 インチ……とかって流れもそんなレースからのもの。でも、若かった僕らにはそれが保守的なカスタムに見えたんです。
だから前後17インチでリヤ極太タイヤ。当時最新だったGSX-Rの足まわりや純正流用もたくさん使いました。レーサーならば機能性第一、重量も増やしたくないからフレーム補強も最小限ですけど、僕たちのステージはストリート。バリバリに補強を入れたカスタムを見て『すげえ』ってね(笑)。他人のやらないカスタムを施すイコール、熱意みたいな時代ですよ。ただ、僕たちはレースからのカスタムに飲み込まれないようにというのはすごく意識していました」
「バイク界にきっかけはあったんですよね。レーサーレプリカでない何かを求めてたこと。その元が中古車だった。あの頃のバイクは、新型が出て型遅れになったら即値段もガクッと安くなって、走るんならそれで十分なんて人が買ってた。性能も実際には新型とそう変わるわけじゃないし。円高で安く買えるようになって、Zなんかも当時はそんな位置づけのバイク。
その上で、レーサーでなくても太いタイヤが履けたら迫力があっていい、カッコいいとかラジアルタイヤ履いてみたいとか、レーサーチックな3本スポークホイールを履いたら速そうに見えるんじゃないかってなる。だから付くかどうかも分からないものを持ってくるのがスタートで、じゃあ、それをどうやって付けようか? ああ、こうしたら付いたなんて、その過程も楽しんだんです」
発信の場、第三京浜には、確かに多くの発信者が集まり、その情報をつかみ取ろうとするファンもあふれた。熱意と言うだけでは足らないムーブメント。自分もやってみようという向きも、珍しさ本位でとにかくあれこれ見たいという向きも、とにかくそこ=保土ケ谷PAに行くのだ、という動き。
「まあ、それぞれのバイクに向けた専用パーツもあんまりなくて。そりゃそうですよね。車検ごとに一度ノーマルに戻さないと通らないなんて時代でしたし。パーツもいいところアメリカのZ用とか、欧州のレーシングパーツ程度。
それでまわりを見渡すと、レースベース車というか、レプリカモデルには速そうで使えそうなものが付いてる。じゃあそれ付けるかって、純正流用するんですよ。RC30のフロントブレーキマスターシリンダ―(いわゆるサンマルマスター)やGSX-Rのニッシン十字ブレーキキャリパー(丸に十字デザイン。「田んぼ」とも)。太いフロントフォークにそれを付けるためのステム、ホイールやスイングアームも格好良かったりするわけで。何が使えるか探しに血眼って感じ」
「で、形になったバイクに試乗してみると、案外いけるんですよ。今のパーツほど調整部分もないけど、流用元の車重なんかが流用先とそう変わらないし、元が割と万人向けだから、大きなズレもない。だから大きな部分、ディメンションなんかが決まってたら、走る。そこは良かったね。 今改めてあの頃=1990年代のカスタムに最近乗ると、ストリート的にはとても乗りやすくてびっくりする時があります。足まわりは市販車用を使うのが割と合ってるのかもしれませんね。ただ当時は気がつかないことも、ひどいバイクもあった。それでいやな思いをした人もいたでしょうけど。
あの頃のに比べると新しいバイクは、伸びしろは少ないんですけれど、やることやできることというのはあるし、そこに次のカスタムの可能性もあるんです。軽くしたり、形を変えたり、もっと高いパフォーマンスだって追える」
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1990年代のカスタム手法は今も応用し提案できる
「新しいバイクや手法を知ることで、今度は昔のバイクに対してあの頃にできなかったこともできるようになるんですよ。Zのエンジンでもギヤポジションセンサを入れればキャブレター車でも点火時期もギヤ段ごとに変えられるようになる。クロスミッションや、削り出しパーツの多くもそうですし、インジェクション化もできる。
流用も、前後17インチにした時はZにはホイールが小さくて見た目のバランスが……なんて言われてた。それだって見た目のバランス取って、切れ込みもなくしてってちゃんと走るのを作ったんですよ。
雑誌『ヘリテイジ&レジェンズ』で紹介してもらってるZ1000Mkllも、そんな中からの提案です。アメリカのドラッグレースにGS(X)1150レーサーがいて、それは1600ccにして600psまで出すようなモンスターなんですけど、古いバイクに最新のパーツと技術を注げばまだまだ新しいことができるという見本。これは1980年代車全体に使えるなあって感銘したんです」
「実際にはナンバーも取って街乗りするつもりですからそこまでドラッグ的にならないでしょうけど、Zでこんなカスタムを作って街を流したら気持ちいいだろうなって。その辺も面白さだと思います。そうした面白さがなければ、今さら1970、1980年代のバイクをわざわざベースにして最速を狙ってやろうなんてしなくていいんですよ。普通にハヤブサやGSX-Rでやればいいし、ラクなんですから」
「カスタムショップの看板を掲げてる以上、次を提案したいのも大きいですけどね。そういう提案をしていかないと、結局どこどこのパーツ付けたからいい、雑誌で見たからあれと同じように作ってくれってなってしまって、カスタム感も薄れていく。定番はありがたくもあるけど、いずれは古くなってしまうんですよ。そこから抜け出る、ほかと違うことをやるのこそ、カスタムだと思います。
それに最近の世界的なカスタムの流れは1970~1980年代車に流用足まわりというのが主流のように見えます。意外な流用もあったり、ブランドパーツを使ってないから、かえってほかと違うものに見えるんでしょう。だからあの頃、1990年代に見たカスタムは逆に新しく見えてきているのかもしれません。 僕たちもそんなことを意識しながら、あの頃のようにわくわくするようなことを発信し、皆とわいわい言える感じで、これからもカスタムを続けていきたいと思います」
取材協力:クラスフォーエンジニアリング
レポート:ヘリテイジ&レジェンズ編集部
※本企画はHeritage&Legends 2019年10月号に掲載されたものです。