文:中村浩史/写真:折原弘之/モデル:小野塚雅人
オレたちは単車乗りだ
その気持ちが革ジャンへ向かう
革ジャンがオートバイ乗りの正装、と言われていた時代があった。
1960年代、まだまだ国産車が発展していく最中の時代に、高級車の代名詞だったハーレー・ダビッドソンや、トライアンフ、BSAやノートンといった英国車たちにうち跨るオートバイ乗りが、革ジャンを身につけていた。
他に着るものがなかった、という先輩も多いかもしれないけれど、あの時代のオートバイに、革ジャンが本当に似合っていた。オートバイ発祥の地イギリスで、思い思いのカフェレーサーに乗るオートバイ乗りたちの革ジャン姿が伝わっていたのかもしれない。
60年代終わりから70年代、メグロカワサキWやカワサキマッハ、ホンダナナハンといった、国産ビッグバイクにも革ジャンがよく似合っていた。
今の「珍走団」なんかじゃなく、本物のワルたち「暴走族」がはびこっていた頃にも革ジャン姿のオートバイ乗りが多かったけれど、その頃の革ジャン姿は、オレは暴走族じゃない、正統派のオートバイ乗りだ、という主張で身につけていたように思う。
ほかのオートバイ用ウエアなんかなかった時代、それどころか、ヘルメットさえかぶらなくてよかった頃に、オートバイたちの身を護るもののひとつが革ジャンだったのだ。
「私も先代の社長から聞いた話ですが、その頃の革ジャンって、革の素材だってよくないし、ボックス形状の裁断縫製の、着心地なんか考えてない代物だったみたい。ただ、スピードが出るオートバイに乗ってるんだぞ、って気持ちが革ジャンを選んだんでしょう」とは、カドヤの現代表、深野将和さん。
深野さんは1974年生まれ。小さい頃から自宅と店舗が一緒だったため、ショップである「カドヤ革被服店」に、いかしたオートバイ乗りがわんさか訪れていた時代を知っているのだ。
それから80年代は、オートバイ用ウエアがたくさん誕生した時代だ。レプリカブームの真っただ中には、街中でツナギ姿のオートバイ乗りを見ることも少なくなかったし、それ以外には、革ジャンではないカラフルなテキスタイルウエアの、ライディングブルゾン、アウトドアウエアやフライトジャケットが流行った時期もあった。
素材の研究も進み、防水防風素材の表地と裏地の間に、中綿インナーや防風、透湿フィルムをはさめるようになると、着心地も柔らかいウエアが主流となり、革ジャン姿のオートバイ乗りが少なくなった時期かもしれない。
革ジャンがよく似合う
漢、カワサキ、角Z。
鉄の塊だった時代の単車から、性能を追求したアルミフレーム、フルカウルのマシンたちへ。オートバイ乗りの正装が、革ジャンからライディングウエアに変わっていった時代と、きちんと符合しているのが面白い。
それから80年代終盤、再び革ジャンが脚光を浴び始めることになる。そう「絶版車」と呼ばれるオートバイたちが人気になった頃だ。その絶版車が現役だった時代の「正装」へ回帰するオートバイ乗りたち。マッハ、ナナハン、そしてカタナにZ。中でも、一番人気のZは、あの頃からずっと人気のまま、ひとつの定番として、今でもカリスマのように君臨している。
だから、革ジャンにはZ。少し乱暴な意見かもしれないけれど、色とりどりのテキスタイルジャケットが現行車ならば、革ジャンとは絶版車なのだ。いま、革ジャンでオートバイに乗っている姿を見てみるといい。それはZX-10Rではなく、Z1だ。GSX-R1000ではなく、カタナだ。
「いつかカドヤのシンボルとなるオートバイが欲しいと思っていました。僕が昔から憧れていた、ということはありますが、それがZ、それも角Z、そしてZ1-Rだったんです」とは、前出のカドヤ代表、深野将和さん。
カドヤは革ジャンを作り、革ジャンに育てられた会社なんです、と深野さんは言う。革ジャンの存在感、素材の質感、色味のバランスが、絶版車に、カワサキに、角Zに、そしてZ1-Rによく似合うのだという。
「この車両をブルドックにオーダーした時に、純正の外装色以外に色を乗せないでほしい、とお願いしたんです。それが革ジャンの『黒』によく似合う条件。それは譲れませんでした」