【エッセイ】「祭りの始まり」(文・絵:東本昌平)
80年代のバイクブームについてと言われても、範囲が広くてピントが合わない。
それよりも、ブームと名のつくものは、去ったあとの寒々しさと、とりのこされた者のさみしさを思い出す。
愛称「ラッタッタ」のホンダ・ロードパル(76年発売)が記録的ヒットを飛ばし、2年もすると激安中古として街にあふれている。
それを追うようにヤマハ・パッソル(77年発売)もヒットして、80年初めには、ラッタッタもパッソルも、自転車よりも安い中古車として、これまでバイクになじみのない者たちも気軽に走り回っていた。
その頃「アンタなんか、バイクに乗っていなきゃただの男よ!!」
と言われつづけながらバイクで乗りつけていた店がある。私のほかにデカいバイクで乗りつける者が3人いるくらいで、店も客もバイクに興味はないようだ。
「もらっちゃったよォ!!」
と、常連客の一人が錆びたラッタッタで店にやって来る。保険とか免許のはなしもせず、「タダ」を連発して、店の前をグルグルと走り回るのだ。
これをきっかけに、常連客が一人、また一人と原付に乗って店に来るようになる。
原付と言っても、ホンダ・MB50(79年発売)が3台も揃うとラッタッタの影はうすくなり、中古のバイクを探すというより、新型車に話題は集中していたようだ。
店の前にバイクを並べて、外でバイクをながめては、あーだこーだ話す。
「いいかげんにしてよ! じゃまだ! 営業妨害だ! 酒を飲まないんだったら帰ってよ!!」
とママさんのカミナリが落ちると、一旦バイクをおいて来てから飲みに来る。
「みんなでツーリングに行きたい」
と話がまとまったのは、青いホンダ・ラクーンがあったから、80年の春だったのだろう。
年輩を押しのけ、私はいつのまにか、若造のくせにバイクの先生になっている。東京23区からバイクで出たことがない者が、奥多摩に行きたいという。
「なんで?」と聞くと、バイクの本に奥多摩ミニツーリングという特集記事があったという。
「ミニって言ってもねェ……」
片道70キロ前後の行程を、初心者の原付を含むマスツーリングだと3時間はかかるだろう。それより、一時間以上の連続走行は疲労の個人差も大きい。結局、原付6台、125cc1台、250cc1台、400cc2台、750cc1台の計11台で、カルガモのように、左側を一列で時速30キロで行くことになった。
走りだして20分。原付に乗る女性二人の顔色は真剣を通りこしてこわばり、蒼白である。とても「楽しい」という顔ではない。結局、奥多摩に着くのに4時間もかかってしまった。食事をすませた頃には、雲もでて寒くなっている。ここまで来たらワインディングを攻めて、奥多摩をグルっとひとまわりと行きたいところだが、そんな余裕はない。
ポコポコとカルガモになって、来た道を帰るのだ。青梅の駅を過ぎる頃には雨も降ってきて、カッパを着ても寒くて奥歯が鳴るしまつだ。77年公開の映画『八甲田山』のセリフ「天は我々を見放したァ」を連発しながら大笑いだ。そこへきて私のナナハン(ZⅡ)がくすぶりだす。このマスツーリングが決まったときに、中型車か原付を借りてくるなりして用意するべきだったが、あてもなく、一張羅のナナハンで同行するも、予備タンも使い切り、錆やゴミがつまってガソリンを入れても不調となる。
無事にみんなが店に帰り着いたのは8時頃だった。
ブームのはじまりは、こんなものだった。
初出:『東本昌平RIDE79』(2013年12月14日発行)
東本昌平 傑作装画集『東本昌平Artworks PRIDE』(上下巻)好評発売中
『東本昌平Artworks PRIDE』上巻・下巻
価格:2,970円/発売日:2022年3月31日/総頁数:228ページ/サイズ:A4変形
上巻では月刊『ミスター・バイクBG』、月刊『東本昌平RIDE』、『キリン』シリーズの特別抜粋装画、西村 章 氏著『最後の王者 MotoGPライダー・青山博一の軌跡』の装画を収録。
下巻では、月刊『ミスター・バイクBG』、月刊オートバイ付録「RIDE」、『東本昌平RIDE』の巻頭読み切り漫画をまとめたコミックス『RIDEX』と、巻末エッセイをまとめたエッセイ集『雲は おぼえてル』の装画を収録。