それが、2ストローク50ccのオートバイ
あの頃の言い方をすれば「ゼロハンスポーツ」だ。
今や絶滅してしまったフルサイズ50ccスポーツのおかげで
僕らは今でもオートバイ好きでいられるのかもしれない。
文:中村浩史/写真:島村栄二/車両協力:森 裕貴さん
2ストローク・50ccバイクの歴史〈1970~1980年代〉
昭和50年ごろ、少年たち僕らの夢はゼロハンだった
1977年、ヤマハがパッソルを発売してから、日本の50ccオートバイの歴史は大きく変わってしまった。
それ以前にもロードパルとかシャリイが「ソフトバイク」なんて呼ばれていたけれど、1980年にホンダ・タクトが発売されると、50ccモデルのメインカテゴリーは「スクーター」になってしまう。この勢いは止まらず、僕らの憧れの乗りものは、かぁちゃん達の買い物のアシになってしまった。
もちろんスクーターも、後にスポーツスクーターが登場するに至って、また新たな熱狂キッズを生み出すんだけれど、このパッソル発売の瞬間こそ、50ccのオートバイという存在が完全に、意味合いを変えてしまったターニングポイントだったと思う。
パッソル前夜までのゼロハンの世界は、子どもが大人に変わる通過儀礼だった。中学校を卒業すると、16歳の誕生日が来るのを待って、すぐに免許試験場へ。クラスメイトの男子の半分はそんなライダー予備軍だった。
誕生日が早い順に大人になっていくクラスメイトは、やがて交通社会に踏み出して、行動範囲の広がりや、自力でペダルを踏まなくても旅に出られる優越を感じ、雨とか冬の厳しい寒さと、真夏のつらい暑さを知るのだ。
あの頃の僕らのヒーローは、2ストロークエンジンを積んだ細~い車体のゼロハンスポーツだった。一番人気はRD50で、CB50は人気があって数は多かったけれど、韋駄天ぶりはRDに及ばなかった。RDと同等に走れるスプリンターはハスラー50。けれど、やっぱりハスラーはオフ車で、ロードのスタイリングになったのがRG50だった。
RGは前後17インチホイール、タコメーターつき、ワイヤー引き式フロントディスクブレーキで、シートカウルのあるスラリとしたスタイリングで、強豪RDに真っ向勝負! それは、世界グランプリで最強を誇るYZR500勢をねじ伏せにかかったRG500勢にも通じるような──って、そんな大げさなものじゃなかったかな。なにしろ当時は、グランプリの情報なんて、少年たちにほとんど届いていなかったから。
その頃の250ccもRDとRGの真っ向勝負。こうして、ゼロハン少年たちもRD派とRG派に分かれて、ゼロハン熱も高まっていったのだ。
とはいえ、大きな目で見ればRDとRGの性能なんて大差なく、「オレこないだ100km/h出したぜ」「ウソつけっ!どんな下り坂だよ」──なんて論争があちこちで百出していたのだ。
車重が80kgそこそこの、フルサイズ2ストローク50ccモデルは、うまく回転を乗せてシフトアップしないとアッという間にライバルに置いていかれる非力なオートバイ。ハンドリングなんて、糸みたいな細いタイヤでは、スピードを出しすぎてコーナーに入っていくとフラれ、前後のびよんびよんなサスペンションも、運動性能というより、乗り心地を重視したものだった。
けれど、それだから僕らはオートバイに夢中になったのだ。上手く走らせないと失速し、速いやつは上手いやつ。ゼロハンを手足のように扱えるようになって初めて。「オレ中免取って、もっと大きなバイクに乗りたい」──なんて夢が将来へ向かうことになったのだ。
ゼロハンスポーツは、少年たちを大人にさせた。それは、スクーターキッズたちにはわからない、1960年代生まれの紳士たちの誇りだった。