ビッグ・ファイブに数えられるイタリア生まれの古豪
ベネリの始まりは1911年。母テレサ・ベネリが6人の息子に安定した仕事を与えようと、全ての資産を投じて作業場を設立。当初は整備工場を運営し、四輪・二輪用スペアパーツを製造していたが、1919年に初となる2ストローク75ccエンジンを完成させた。その2年後の1921年12月にベネリ初のオートバイである『Velomotore』が誕生した。
Benelli Velomotore(1921)
2ストローク98ccエンジン搭載のTouringと125ccエンジン搭載Sportのライトウェイトバイク。1923年には147cc仕様も追加された。
Benelli 175スポーツ(1921)
Benelli 175グランスポーツモンツァ(1933)
イタリア国内外のレースで活躍、1950年には250cc世界チャンピオンに
1923年から参戦したイタリア選手権で勝利。1930年代には欧州各国のレースでも数々の栄冠を獲得。ベネリの名は欧州全土に知れ渡るようになる。1939年には当時の最高峰レースであるマン島TTレースで250ccライトウェイトクラスで優勝を果たしている。
1940年代にはスーパーチャージャー搭載の水冷250cc並列4気筒レーサーを発表するが、第二次世界大戦により、レース活動は休止。大戦後に開催された世界GPでは過給器が禁止となったため、この革新的なエンジンがレースで活躍することはなかった。
とはいえ、ワークスライダーとしてダリオ・アンブロジーニを起用し、初開催の1949年に2位、翌年にはシリーズタイトルを獲得、世界チャンピオンに輝いた。その後、マイク・ヘイルウッドやヤーノ・サーリネンといった歴史に名を残す名ライダーもベネリに乗っている。
多気筒モデルのパイオニア世界初の250cc4気筒市販車も
第二次大戦前に800人の従業員を擁する企業にまで成長していたベネリ。市販車では1951年に代表的なモデル『レオンチーノ』を発表する。『レティツィア』と共に、数カ月で2000台以上を販売するほどの好調な売れ行きとなり、まさにベネリの屋台骨とも言える名車の誕生だった。
Benelli レオンチーノ(1951)
その後、1970年代を前に、世界中のメーカーが次世代のフラッグシップとして、革新的なビッグバイクを発表していくなかで、ベネリは1971年に並列2気筒650ccエンジン搭載のトルネード650を発売する。1972年になると自動車メーカーのデ・トマソグループとなり、1975年には世界初の6気筒市販車、750seiをリリースした。ホンダのCBXよりも数年早い。実は250cc4気筒エンジンを搭載した市販車もベネリのQUATTRO 250が世界初で1977年のことだ。
この6年後、水冷初の250cc4気筒エンジン搭載のスズキGS250FWが登場することからも、ベネリが多気筒モデルのパイオニアであることが分かる。
Benelli レオンチーノ250
Benelli トルネード650(1971)
Benelli 750sei(1975)
Benelli 900Tre(2002)
巨大企業GEELYの資本参加でイタリアの名門復活の兆し
2005年からは中国に本拠地を持つQ.J.グループに吸収されたベネリだが、車両の企画やデザインは今もイタリア、ペーザロで行われ、レオンチーノやTRK502など、ベネリの新たな主力モデルが誕生している。
2016年、ベネリは大きな転機を迎える。ダイムラーの筆頭株主でボルボやロータスなど有名ブランドを傘下に収める世界有数の巨大企業GEELYの資本参加を受けることとなった。大きな資金を得たことで、新型車両の開発も積極的で勢いづいたベネリは、イタリアでTRK502/Xが3年連続で販売台数1位を獲得。メーカー別のシェアでも昨年トップに輝いた。日本国内では2021年からプロトが輸入元となり、初年度からTNT125がヒット。
さらに、2022年はクラシックタイプのインペリアーレ400を導入し人気となった。古豪ベネリは日本国内でも「新生ベネリ」として名門復活への歩みを加速している。
欧州だけでなくアジアや南米、アフリカなどグローバルに展開する強みを活かし、TNT125(写真上)などの小排気量から、インペリアーレ400(写真下)のようなクラシックタイプ、名車の名を受け継ぐスクランブラーのレオンチーノ250など、豊富なラインアップを誇る。
Benelli TRK 502/X
まとめ:オートバイ編集部/取材協力:PLOT