文:宮﨑健太郎
モトクロスのジャンルで、最初の栄光を手にしたオーリンズ
B.ニルソン、S.ルンディン、R.ティブリン、T.ホルマン、B.アベルグ、H.アンデション、H.カルキビスト・・・彼らはいずれも、1950~1970年代の世界モトクロスGPにて、王座を獲得したスウェーデンの名ライダーたちである。スウェーデンはまたハスクバーナ、そしてかつてのフサベルの両ブランドが生まれた土地でもあり、モトクロスの盛んな土地として当時は知られていた。
1963〜1968年の間、中止となった1965年を除きスウェーデンは国別対抗戦のトロフェ デ ナシオン(250cc)の5大会すべてで勝利。スウェーデンがモトクロス世界最強国のひとつだった1960年代の、1961年にオーリンズ創業者のケント・オーリンは12歳でモトクロスを始めている。上にあげたスウェーデン人王者たちには及ばないものの、オーリンは国内ジュニア王者、そして欧州国際レースでもタイトルを獲得するほど優れた腕前の持ち主だった。
若きオーリンは乗り手としてだけではなく、メカニズムに対する洞察力にも優れた人物であった。近代モトクロスは戦後急速に発展したカテゴリーだが、1960年代にはモトクロスに特化したフレームを持つモデルが普及。そして2ストローク技術の著しい向上を受け、日英欧の各メーカーは2ストローク単気筒を搭載する競技車を開発した。
しかし1970年代初頭のモトクロス車は総じて、飛躍的に馬力が向上したエンジンを搭載しながらも、旧態依然としたサスペンションを持つ車体まわりしかもたないモデルばかりであった。より良いサスペンションを与えることで、モトクロス車の性能は飛躍的に高めることができると考えたオーリンは、父の経営する向上の工作機械を使い、自身や友人たちの所有する車両のサスペンション改良に取り組むようになった。
オーリンが手を入れたサスペンションは日を追うごとに性能を上げ、その評判を高めていくことになった。しかし既製品を分解し、ダンパーなどに改良を加える手法には限界がある。さらに上を目指すには、すべてを自分の手でゼロから作りあげる必要がある・・・という考えに至ったオーリンは、1976年に「オーリンズ レーシング AB」を設立した。
オーリンの試みの正しさが世界に始めて証明されたのは、それからわずか2年後のことだった。オーリンズ製品ユーザーのひとり、G.モイセーエフ(KTM)は見事1978年度の世界モトクロスGP 250ccの王者に輝き、サプライヤーのオーリンズに初の世界選手権タイトルをもたらすことになったのである。
ところで、現在の「オーリンズ」ブランドの所有者は・・・!?
その後オーリンズはモトクロスだけでなく、ロードレース用サスペンションの分野にも進出。1983年にはオーリンズユーザーのベネズエラ人ライダー、C.ラバードが世界ロードレースGP 250ccでチャンピオンとなり、オーリンズ初のロードレース世界タイトルをプレゼントした。
1991年には当時のロードレースの最高峰、500ccクラスをウェイン・レイニー(ヤマハ)が制覇。オーリンズ製サスペンションを装着した車両たちは着々と世界選手権タイトルを積み上げていくことになり、2007年には200、そして2012年にはついに300を突破!! さらにその数が増加して現在では400を超えることになるのは、モータースポーツ愛好家たちの多くが知るところだろう。
1980年代の国内バイクブームを体験した人のなかには、1986年にヤマハがオーリンズ レーシング ABの株式を所有し、傘下におさめていたことをご存知の方も多いと思われる。両社の関係は長く続いたが、2007年にK.オーリンが株式の大半(95%)を買い戻し、再びオーリンズのブランドが彼のものとなったことを知っている方は意外と少ないかもしれない。
その約10年後の2018年に、K.オーリンは米の大手自動車部品サプライヤーであるテネコに株式の過半数を売却する契約を結び、2019年初頭に買収の手続きが完了している。オーリンは取締役としてオーリンズに残り、その技術や人員は引き続き彼のリーダーシップに導かれることになった(なお2018年にテネコは同業の大手フェデラル - モーグルも買収した)。
よって現在のオーリンズブランドの持ち主はテネコ・・・ということになるのだが、テネコは昨年に世界有数の資産運用会社であるアポロ ファンズに買収されており、株式非公開企業となって事業を継続することになった。ともあれ親会社がどこになろうとも、モータースポーツの世界で磨き上げた技術を、製品作りにフィードバックしていくという創業以来不変のオーリンズの哲学は、これからも守られ続けていくことになるのだろう。