1980年代後半、250cc・2ストロークのレーサーレプリカが人気を博した。国内メーカー4社の代表的な車種を紹介する。
文:中村浩史/写真:モーターマガジン社アーカイブス

ホンダ「NSR250R」

日本を代表する2ストスポーツ

画像: Honda NSR250R 1986年

Honda NSR250R
1986年

国産車でいちばんサーキットに近いオートバイ

2ストスポーツ、そしてレーサーレプリカというキーワードで真っ先に思い出されるのが、ホンダNSR250Rだ。NSRは、ホンダが「打倒RZ」を狙って開発したV型3気筒エンジンのMVX250F、Vツインエンジンを新作したNS250Rに続く第三世代の2ストスポーツ。いつしかその開発目標は打倒RZではなく「2ストスポーツ最強」へと変わり、市販レーサーRS250Rとの同時開発で1986年10月に市販された。

エンジンは「市販レーサーの公道市販バージョン」を標榜したケースリード吸入のVツインで、アルミツインチューブフレームに、市販レーサーRS250Rとほぼ同一のシルエットで登場。デビューイヤーから一線級のパフォーマンスを発揮したが、NSRがスゴいのはここから。1988年、1989年、1990年、1993年と矢継ぎ早やにモデルチェンジを繰り返し、常にトップパフォーマンスの座を譲らなかったことだ。

ベースモデル以外にも、レース出場を念頭に置いたSP仕様も追加するなど、NSRはやはり歴史上の国産モデルで、いちばんサーキットに近いオートバイだったのだ。

フルパワーで70PSオーバー

画像1: 1980年代後半に登場したホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキの2スト250ccレーサーレプリカ|2ストローク・スポーツバイクの歴史

日本の2スト250ccエンジンの究極と呼んで差し支えないNSRのV型2気筒ケースリードバルブエンジン。自主規制値は45PSだが、フルパワーで70PSを超えていたと言われている。

ヤマハ「TZR250」

衝撃のデルタボックス

画像: YAMANA TZR250 1985年

YAMANA TZR250
1985年

パフォーマンスのために乗りやすさを切り捨てない!

1980年のRZ発売で、2ストスポーツ市場を切り拓き、牽引してきたヤマハ。しかし、相次ぐライバル勢の猛追を受け、1985年11月にRZを劇的フルモデルチェンジ。一気にレース出場をも念頭に置いたTZRをリリースした。

NSやNSRと同じく、市販レーサーTZとの同時開発で、TZR用にエンジンも新作。当時はレーシングマシンだけの装備だった前後17インチの中空3本スポークキャストホイール、大径シングルディスクブレーキはもちろん、市販モデルでは初めてと言っていいほどの迫力を持つデルタボックスフレームを採用。先代モデルのRZはもちろん、他の何にも似ていない2ストスーパースポーツだった。

TZRは、高い戦闘力はもちろん、幅広いユーザーに愛されたモデルで、高性能イコール乗りづらい、乗り手を選ぶというイメージを覆したモデルだった。性能最優先でも乗りやすさを切り捨てないという、ヤマハの想いがあらわれていたモデルだったのだ。

1989年には後方排気パラツイン、1991年にはVツインを新作して、最後まで2ストスポーツを牽引。NSRとは別の意味で、日本の偉大な2スト遺産だ。

市販レーサーTZと同時開発

画像2: 1980年代後半に登場したホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキの2スト250ccレーサーレプリカ|2ストローク・スポーツバイクの歴史

バイクキッズたちの度肝を抜いたTZRのデルタボックスフレーム。他にも大径シングルディスクブレーキや中空3本スポークキャストホイールも、その後のスタンダードとなった。

スズキ「RGV250Γ」

最後まで戦ったラストサムライ

画像: SUZUKI RGV250Γ 1988年

SUZUKI RGV250Γ
1988年

スズキが本腰を入れて2ストレプリカシーンに参入

1983年に「2ストの盟主」RZを超えるインパクトで登場した250Γは、過激なパッケージではあるものの、250ccでのレース実績のないスズキにとっては、何代もマイナーチェンジを繰り返しても、決してレース出場で即、高いパフォーマンスを発揮する、というモデルではなかった。

それが一変したのが1988年。世界グランプリ500ccクラスにワークスチームとして復帰するタイミングで、従来のパラツインからVツインエンジンにフルモデルチェンジ。一躍トップモデルとしてレーサーレプリカウォーズの仲間入りを果たし、ホンダやヤマハとともに、多くの若手レーシングライダーを育成したのだ。

下の写真にあるように、まさにレーシングマシンと見まがうような構成で、VΓの初期モデルからクロスミッションやフルアジャスタブルサスを装備したSP仕様も用意。スズキが本腰を入れてレプリカシーンに参入した覚悟が読み取れるモデルだった。

1990年、1996年にフルモデルチェンジし、最終型ではセルスターターまで装備。2ストレーサーレプリカとして、最後まで市販されたモデルだった。

伝統の並列2気筒から、V型2気筒へシフト

画像3: 1980年代後半に登場したホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキの2スト250ccレーサーレプリカ|2ストローク・スポーツバイクの歴史

まさに無駄をそぎ落としたストリップのRGV250Γ。T20から連綿と受け継がれてきた並列2気筒レイアウトに別れを告げ、V型2気筒レイアウトを採用しての登場だった。

カワサキ「KR-1」

最後発はオーソドックスに

画像: Kawasaki KR-1 1988年

Kawasaki KR-1
1988年

短命に終わってしまった最後発のカワサキ2ストレプリカ

初代KR250の発売が1984年4月と、2ストレプリカウォーズ参入が最後発になってしまったのがカワサキ。世界グランプリ250ccクラスでは1978~1981年と4連覇を果たした強豪だったが、1982年を最後に250ccでの活動を休止。そのブランクが響いたか、GPレーサー直系のタンデムツインエンジンを採用しながら、KR250の販売成績は思わしいものではなかった。

巻き返しを狙った2ストレプリカ第二世代では、満を持して新GPマシンを開発。のちにX-09と呼ばれたマシンの初期スペックを兼ねた並列ツインエンジンは、ワークスモトクロッサーKXの2スト単気筒エンジンをベースに新開発したものだった。

エンジン型式や車体構成はごくオーソドックスで、1989年にはエンジン/車体ともフルチェンジのKR-1Sもリリース。SPレース出場用のクロスミッションを組み込んだKR-1Rも併売されたが、ストリートでの扱いやすさと裏腹に、サーキットではさしたる戦績も残せず、カワサキは4スト250/400ccのレーサーレプリカにリソースを集中。カワサキ2ストは短命に終わってしまった。

一代限りのモデル

画像4: 1980年代後半に登場したホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキの2スト250ccレーサーレプリカ|2ストローク・スポーツバイクの歴史

最後まで正立フォークで通したKR-1。エンジン、車体設計とオーソドックスで、カワサキらしい個性を感じられなかったのも事実。一代限り、短命に終わったモデルだった

文:中村浩史/写真:モーターマガジン社アーカイブス

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