最強の名を欲しいままにした 空冷Z・最高のスペシャルマシン
カワサキの4ストロークビッグバイク「Zシリーズ」が、品質過多とまで呼ばれるほどチューニングへの耐久性が高いといわれた神話は、もちろんヨーロッパ耐久選手権や、AMAスーパーバイクでの活躍に裏打ちされている。
耐久選手権への挑戦は70年代中盤から。72年発売のZ1をべースに参戦し74~75年には耐久王者に輝き、カワサキ本社もレースサポートという形でマシン製作にタッチ。その活動がアメリカにまで波及したのがAMAスーパーバイクでの活動だった。
そして、カワサキ本社が関与した頃のエースが、このエディ・ローソン。80年にAMAスーパーバイクにZ1000Mk IIでデビューしたローソンは、早くも第2戦で優勝を飾り、最終戦までチャンピオン争いを展開。
最終戦でレギュレーション違反や改造規定などのトラブルが起こり、一度はローソンのタイトルが認定される(のちに撤回、チャンピオンはヨシムラスズキのウェス・クーリーになった)事件も起きている。
翌81年にはベースマシンがKZ1000Jに進化。2年目のローソンは8戦4勝を挙げてチャンピオンを獲得。続く82年にも11戦5勝を挙げて2年連続チャンピオンとなる。
このチャンピオン獲得を記念して製作されたのが、市販スーパーバイクレーサー・KZ1000S1で、その公道用モデルがZ1000Rということになる。この写真は81年にローソンがライディングしたAMAスーパーバイクレーサーで、登録名は81年がZ1000J、82年がZ1000Rだ。
「ローソンレプリカ」といえばまさにこのバイクをイメージする人が大多数だと思うが、実は細かく言うと何世代も「ローソンレプリカ」は存在し、80年のZ1000Mk II、81年からはライムグリーン/丸タンクのKZ1000J、そして82年がライムグリーン/角タンクのZ1000Rとなる。
実際のレースでは、ハンドリングへの影響を嫌って、Z1000Rの特徴的なビキニカウルは採用されないことが多かったようだ。
この後、ローソンはWGPへ転出し、ヤマハのエースとして君臨。そして86年には、今度はヤマハのライダーとしてAMAスーパーバイク開幕戦「デイトナ200マイル」に出場。後述するFZ750で優勝を果たし、世にも珍しいカワサキ3種/ヤマハ1種の「ローソンレプリカ」を誕生させたのだ。
タイトル獲得記念の限定車も複数登場!
KZ1000JをベースにしたマシンでE・ローソンが1981年にAMAスーパーバイクチャンピオンになったことを記念し、1982年に登場したのがZ1000R「ローソンレプリカ」だ。メカニズム的にはKZ1000Jに準ずるが、Z1100GPのビキニカウル付き外装とカーカー製マフラー、レーサー同様のライムグリーンに塗られているのが特徴で、約1000台が主にアメリカで販売された。
ローソンは翌年にもAMAスーパーバイクを連覇したため、これを受け再び記念モデルのZ1000R2を1983年に発売。最初のモデル・R1とはエンジンやグラフィックが細かく異なる。これは人気に応えて5000台あまりが販売された。さらに1984年にはエンジンをGPz1100ベースに変更、Fホイールを18インチ化したZ1100Rが、主に欧州向けに約1300台が生産されている。
写真協力:バイカーズステーション(遊風社)