250ccクラスに新ジャンルを開拓スズキ2輪の歴史における傑作車の一台

画像: 250ccクラスに新ジャンルを開拓スズキ2輪の歴史における傑作車の一台

RG250Γ(GJ21A)

画像: RG250Γ(GJ21A) 1983年3月1日発売 46万円

RG250Γ(GJ21A)
1983年3月1日発売 46万円

全長/幅/高:2050/685/1195mm
シート高:785mm
車軸距離:1385mm
車体重量:131kg(乾)
燃料消費率:45.3km/L ※定地走行テスト値
燃料容量:17.0L
エンジン:空冷2サイクル2気筒
総排気量:247cc
最高出力:45ps/8500rpm
最高トルク:3.8kg-m/8000rpm
変速機:常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ:前100/90-16(54S) 後100/90-18(56S)
スプロケ:前14|後37
チェーンサイズ:520|リンク110
発売当時車体価格:46万円(税別)

「Г(ガンマ)」は、ギリシャ語で栄光を意味するゲライロの頭文字だ。スズキはこれを1981年からGPレーサーの名称に使い始めたが、1983年にデビューした公道向け250㏄にもこの文字を与えた。RG250Гだ。

車名が示すとおりにレーサーレプリカだが、当時のスズキは250㏄に参戦しておらず、フランコ・ウンチーニが1982年の王座を獲得した、497.5㏄(56×50.5㎜)スクエア4のRGГを手本とした。

市販車では初採用となるアルミフレームに、新開発された並列2気筒を組み合わせ、レーサー専用だったハーフカウルを装備する外観はこれまでのどのモデルとも異なっていた。

1987年までの5年間にわたって改良が加えられ、1〜5型までが揃う。

レーサーを思わせる造形のカウルやアルミの骨格などすべてが斬新だった初代Г

画像: セパレート式のハンドルやトップブリッジなどを黒で統一。ハンドルクランプの位置が高いのは当時のメーカー間自主規制に準じたためで、当時はそのようなものが存在した。燃料タンク容量は17ℓ、キャップはタンクの上面とツライチになるエアプレーンタイプを採用する。カウルマウントのバックミラーは、現在の基準からすると左右幅が非常に小さい。

セパレート式のハンドルやトップブリッジなどを黒で統一。ハンドルクランプの位置が高いのは当時のメーカー間自主規制に準じたためで、当時はそのようなものが存在した。燃料タンク容量は17ℓ、キャップはタンクの上面とツライチになるエアプレーンタイプを採用する。カウルマウントのバックミラーは、現在の基準からすると左右幅が非常に小さい。

画像: プレートに埋め込まれたメーターはレーサーを思わせるデザインで、12000rpmスケールで3000rpmを起点とするタコメーターを中央に配置する。左は80~180㎞/hの目盛りを赤としたスピードメーター、右は水温計だ。下側には各種インジケーターランプが並び、左から、ハイビーム、ウィンカー、速度警告灯、ニュートラル、オイルプレッシャーとなる。

プレートに埋め込まれたメーターはレーサーを思わせるデザインで、12000rpmスケールで3000rpmを起点とするタコメーターを中央に配置する。左は80~180㎞/hの目盛りを赤としたスピードメーター、右は水温計だ。下側には各種インジケーターランプが並び、左から、ハイビーム、ウィンカー、速度警告灯、ニュートラル、オイルプレッシャーとなる。

画像: エンジンは2サイクルパワーリードバルブ並列2気筒で、54×54㎜のボア×ストロークから247.3㏄を得るのはRG250/同Eと同じだが、冷却方式を空冷→水冷に変更、軽量かつハイパワーを求めて設計を大幅に変更。クーラントとミッションオイルを含む状態での単体重量は競合車より約3~8㎏軽量な34㎏に抑えられる。エンジン性能は、45ps/8500rpm、3.8㎏-m/8000rpmを公称。クラス最強の高性能を誇った。

エンジンは2サイクルパワーリードバルブ並列2気筒で、54×54㎜のボア×ストロークから247.3㏄を得るのはRG250/同Eと同じだが、冷却方式を空冷→水冷に変更、軽量かつハイパワーを求めて設計を大幅に変更。クーラントとミッションオイルを含む状態での単体重量は競合車より約3~8㎏軽量な34㎏に抑えられる。エンジン性能は、45ps/8500rpm、3.8㎏-m/8000rpmを公称。クラス最強の高性能を誇った。

スズキのGPレーサーは伝統的に青と白で塗られる。彩度の異なる2本のストライプを組み合わせて、カウル側面にSUZUKIのロゴを置くデザインは、1982年のワークスレーサー、RGГ/XR40にそっくりだ。

全長/全幅/全高:2050/685/1195㎜、軸距/シート高:1385/785㎜、キャスター/トレール:28度45分/102㎜を公称。アルミフレームの採用などで乾燥重量は131㎏に抑えられており、これはVT250Fの149㎏、RZ250の139㎏より大幅に軽い。

前後ホイールは16/18インチで、フロント16インチは当時のGPレーサーにおける流行に倣ったものだ。F:100/90-16、R:100/90-18のタイヤはミシュラン製を標準装備し、これも話題になった。

ブレーキは前後ディスクで、有効径(外径ではない)はダブルのフロントが227㎜、リアは176㎜。キャリパーは前後とも対向式2ピストンを組み合わせる。正立式フロントフォークのインナーチューブはφ36㎜で、アウターチューブ前側に見えるのはアンチノーズダイブ機構の制御ユニットである。

画像: 塗色は、デビュー時は青×白の1種だったが、後に赤×白が追加された。こちらの塗色では赤い表皮を使うシートを装着しており、非常に派手だが全体像にうまく溶け込んでいる。

塗色は、デビュー時は青×白の1種だったが、後に赤×白が追加された。こちらの塗色では赤い表皮を使うシートを装着しており、非常に派手だが全体像にうまく溶け込んでいる。

1980年デビューのRZ250や、1982年に投入されたVT250Fなどにより活気を取り戻した250㏄クラス。これらのライバルとなる機種を持たなかったスズキは250㏄の新作車を開発することを決意。GPレーサーと共通のГを車名に冠し、内容もそれに近いレプリカを造るという方針が決定された。

公道を走るため保安部品を与えるが、レーサーを象徴するカウリングとアルミフレームを受け継ぐことが基本コンセプトで、カウルはVT250Fが小型のものを装備したが、日本向けモデルでレーサー風の本格的なハーフカウルを持つのは本車が最初。Гを名乗るならフレームはアルミと開発陣がこだわり、量産市販車での初採用を実現させた。

46万円の価格は、RZ250の35万4000円やVT250Fの39万9000円より大幅に高いが、内容を考えれば決して高価すぎないから、Гの価値がわかり乗りたいと思うユーザーは買ってくれるはずだとスズキは確信。実際、大ヒット作となった。

【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ

画像1: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ

最初期型RG250Гのカタログを掲載する。テールランプが尾を引く写真の上には、レーサーRGが勝利した歴史を白い文字で記している。RGГ/XR40を投入した1982年はウンチーニが5勝、マモラが1勝し、ウンチーニは年間王座に輝いている。

画像2: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ
画像3: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ
画像4: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ

最初の見開きでテストコースを走るのはウンチーニで、彼の顔写真とRG250Гに乗った印象が書かれている。このマシーンがサーキットにきわめて近い存在であることを強く印象づけており、新ジャンルを開拓しようとするスズキの意気込みが感じられる。

画像5: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ
画像6: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ
画像7: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ
画像8: 【付録】貴重なRG250Γ発売当時のカタログ

豊富な写真とともに各部を解説しており、エンジンやフレームの単体など今では入手できない貴重な写真が見られる。これを大きく掲載したら迫力のある誌面が構成できただろうと思うと残念だ。風洞実験の模様の写真には、白いカウルを装着したプロトタイプが映っている。

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