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YAMAHA <YDSシリーズ Part.3> 「YDS-3」使い勝手が向上した第三世代YDS -1964〜1967年-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
ツーリングモデルとしても広く受け入れられた「YDS-3」
YDS-3 1964〜1967
タンクやシートを始め、フェンダーやチェーンケースなどがほどよくまとまった好デザインのロングセラーが、YDS3。写真のモデルは後期型で、タンク側面の塗り分けがS1以来のものとは異なり、1966~69年まで販売された。
1964~66年の前期型は、いうまでもなく従来のカラーリングである。タンク容量は14ℓで、S1、S2の15.5ℓより少ない。S3に関しては逐次エンジンのチューンが行われ、またTD-1のノウハウも導入されたために、データ上のパワーは各種あり、国内仕様と輸出モデルの差がどの程度かもはっきりと...
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YAMAHA「TZR250」<1KT> TZRシリーズ Part.1「初代にして高い完成度を誇った真のレーサーレプリカ」 -1986年〜-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
レーサーレプリカの流行を加速させオートバイブームを牽引したヤマハの力作
良好とはいえない燃費や排出ガス浄化の問題などから、衰えていた2サイクルスポーツの人気をRZ250/350で復活させたヤマハが、新たなシリーズとして市場に投入したのがTZR250である。
初期型となる1KTの機種コードNo.を持つモデルは、1985年11月に発売されたが、ヤマハは秋以降に発売される機種を次年度モデルと呼ぶ習慣が1980年代から現在に至るまであるため、今回の巻頭特集もこれに準じて最初期モデルは1986年型とした。
最大の特徴は市販レーサーTZ250と並行して開発したことで、アルミ製デルタボックスフレームに...
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SUZUKI「RG250Γ」<GJ21A> 栄光のガンマ伝説 Part.1「レーサーレプリカブームの真髄」 -1983年〜-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
250ccクラスに新ジャンルを開拓スズキ2輪の歴史における傑作車の一台
RG250Γ(GJ21A)
全長/幅/高:2050/685/1195mm
シート高:785mm
車軸距離:1385mm
車体重量:131kg(乾)
燃料消費率:45.3km/L ※定地走行テスト値
燃料容量:17.0L
エンジン:空冷2サイクル2気筒
総排気量:247cc
最高出力:45ps/8500rpm
最高トルク:3.8kg-m/8000rpm
変速機:常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ:前100/90-16(54S) 後100/90-18(56S)
スプロケ:前14|後37
チェーンサイズ:520|リンク1...
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YAMAHA <YDSシリーズ Part.2> 「YDS-2」各部がリファインされた2代目YDS -1962〜1964年-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
YDS-1の弱点をない、各部がリファインされた「YDS-2」
YDS-2 1962〜1964
YDS-1の弱点を補う意味で、各部がリファインされたのがYDS2である。全体のイメージは変えず、ブレーキ系やエンジンに手を加えることによって、他社のスーパースポーツをリードするまでになった。
ヨーロッパでの人気も高く、S3のデビュー後も、そのシンプルなデザインが好まれていた。ちなみに、車重は装備でS1=151kg、S2=156kgとされたが、海外のデータによると、両者とも乾燥で140kgという数値もあり、実質的に車重は同一とみてよいだろう。
加えて、ロードクリアランスも、国内では、S1=140m...
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「NSR250R」<MC16> NSRシリーズ Part.1「NSR最速伝説の始まり」 -1986〜1987年-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
レーサーと同構成の90度Vツインとアルミツインスパーで生まれた新世代レプリカ
1986 NSR250R(MC16)
<主要諸元>1986 NSR250R(MC16)
全長/幅/高:2035/705/1105mm
シート高:750mm
車軸距離:1360mm
車体重量:141kg(装)
燃料消費率:41.0km/L ※定地走行テスト値
燃料容量:16L
エンジン:水冷2サイクルV型2気筒
総排気量:249cc
最高出力:45ps/9500rpm
最高トルク:3.6kg-m/8500rpm
変速機:常時噛合式6段リターン
タイヤサイズ:前100/80R17(52H)・後130/70R18(6...
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KAWASAKI「250TR」49年前に存在した2スト・デュアルパーパス -1970〜-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
カワサキ・オフロードの序章「2ストロークトレール 250TR」
1970 250TR(F8)
カワサキは1963年に125㏄ワークスモトクロッサーの市販モデルともいえるB8Mを発売。1967年には90㏄市販モトクロッサーのG1Mと同じく250㏄のF21Mがデビュー。
国内外のモトクロスレースで活躍する。それらの技術をフィードバックして1970年に登場したのが、90㏄、125㏄、175㏄(175は輸出専用モデル)、250㏄、350㏄のTRシリーズだ。
250TRは350TRをベースにロータリーディスクバルブ単気筒のボアを縮小して誕生。その後、1972年型で250㏄専用に開発したピストンバル...
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YAMAHA「SDR」200ccの2スト単気筒ワインディングスペシャル -1987年-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
TCメッキのトラスフレームなど現代でも通用する美しさを備えている
SDR発売当時の貴重なカタログはこちら6
2サイクル250㏄といえばレーサーレプリカが主流だった1987年、ヤマハはSDRを発売する。
トラスフレームに195.0㏄水冷ケースリード単気筒を搭載したSDRは、軽快な操縦性と運動性能、強烈な加速感といった2ストロークスポーツならではの魅力を常用域で楽しめるマシーンとして開発された。2
だが1人乗りなど割り切った設計からか、大きな支持を受けることはなかった。
1987 SDR/2TV
車体サイズは、全長×全幅×全高:1945㎜×680㎜×1005㎜で、TZR125とほぼ同じ。
し...
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YAMAHA <YDSシリーズ Part.1> 浅間火山を駆け抜けたYDレーサーの市販車「YDS-1」-1959〜1962年-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
オートバイの生産開始直後からレースで活躍したヤマハの市販スーパースポーツ
YDS-1 1959〜1962
端正な美を見せるヤマハスポーツ250S。
フロントフェンダーステーがフォーク下端でボルト締めされる、いわゆるヤマハ昌和製で、エンジン、ミッションとも対策された車である。
全体の構成は、西独アドラーのワークスレーサーを範とし、スタイリングは、GKデザインがYDIで発揮したイタリア調を導入。半月形状のリアフェンダーが、そうしたことを強烈に感じさせてくれる。
1959年のモーターショーには125Sが展示されたが、もし市販されていれば、250と同様の外観を持つ125ccツインを楽しめだろう。...
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RZシリーズ Part.2「RZ250R/RR」市販モデル初の可変排気バルブ「YPVS」を搭載したRZの最終形態 -1983〜1988年-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
RZ250の系譜で最終型となる第5世代は、1988年7月に写真の赤×白と青×白を発売。この2台の機種コードNo.は3HM1だが、同年8月に追加されたヤマハブラックでは3HM2と異なる。
RZシリーズの最終型となった1988年デビューの5世代目「RZ250R(3HM1)」
RZ250R(3HM1)1988年
エンジン形式:水冷2サイクル並列2気筒ピストンリードバルブ
総排気量:247cc
点火方式:デジタル進角C.D.I
キャブレター:VM26SS
始動方式:キック式
ミッション:6段リターン
全長/全幅/全高:2070/665/1065mm
タイヤ前:100/80-17(52H)
タイヤ...
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【心に残る日本のバイク遺産】大ヒットモデルRG250Γに流れを繋いだ「SUZUKI RG250/E」-1978年- 2サイクル250cc史 編
専用のエンジンとシャシーを開発し軽快でよく走る250ccスポーツモデルを実現
SUZUKI RG250 1978~
1978年に初期型が登場したRG250は、2サイクル並列2気筒をパワーユニットとするなど、先代となる250㏄モデル、前項で見たGT250といくつかの共通性があるものの、開発過程が異なり、車両の性格や乗って受ける印象が大きく違っていた。
生産コストの問題から、フレームや前後ショック、装備などを変えずに排気量を縮小し、モデル数を増やす方式を選ぶメーカーが当時は多かったが、重たい車体がそれこそ重荷となり、走りがいまひとつの車両に仕上がることが少なくなかった。
そうした問題を打開す...
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【心に残る日本のバイク遺産】スズキGTシリーズの2スト250モデル「SUZUKI GT250」-1971年- 2サイクル250cc史 編
ラムエアーの冷却システムを搭載した2スト250
「SUZUKI GT250」-1971年-
1965年デビューのT20は25psの出力に対して公表車重145㎏。1966年のT250は30.5psと148㎏。それが1971年のGT250では、30.5psの最高出力はそのままに、車重が154㎏まで増加した。
T20~T250時代はスーパースポーツだったが、1971年からの車名はGT。このことが車両の性格を示していよう。
1973年型で146㎏へと減量したが、車両の性格そのものが穏やかだったGT250は、万能なオンロードスポーツ車として1978年まで売れ続けたが、T250時代の切れ味には欠けた...
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【心に残る日本のバイク遺産】レースのヤマハを確立した250スポーツ「DX/RD250」-1968年- 2サイクル250cc史 編
フラッグシップの座を追われてもなおスポーツバイクとしての性能に磨きをかけたDX/RD250
「YAMAHA DX250」-1970年-
1970年代の2スト250㏄ストリートバイクは、それまでのスポーツバイクの上位モデルではなくなり、4スト大排気量車を頂点とするピラミッドの中間をなすマシーンへと性格を変えていく。
しかし、そこは自他ともに認める"レースのヤマハ"ゆえ、250~350㏄の排気量を持つ2スト2気筒車の牙を抜くことは決してせず、むしろ4スト大排気量車をツーリングモデルとし、DX/RD250/350/400の各車ではライトウェイトスポーツとしての性能改善に取り組んでいた。
ヤマハ...