1909年、初めての国産のオートバイが誕生した。それから100年以上、あまたのモデルが世に出て、愛され、そして消えて行った。時代時代で光を放ったオートバイたち…。今となっては、もう写真でしか見ることができない車両もある。そんな、日本が誇るオートバイの歴史を紐解いていこう。「果たしてあなたは何台のオートバイを知っているだろうか?」
東京発動機トーハツPK-55R ◆ 1955 年
国産モデルで初めて125ccエンジンを搭載したトーハツPKシリーズ。1955年発売のPK-55Rは1万7200台を販売したトーハツのドル箱モデルで、テレスコピックオレオにスプリング式プランジャータイプの足回りや電気式ホーン、アルミダイキャスト・マグネトーカバーなど、装備も上級モデル並みに充実していた。
ヤマハYA-1 1955 年2 月
東ドイツDKWのRT125を参考に、本家を越えるスペックを与えられたYA-1。当時の125クラスでは唯一の4段ミッションを搭載して1954年秋に発表され、翌55年2月に市販を開始。同年7月の第3回富士登山レース125部門では優勝を含む上位10車中7車を占め、11月の第1回浅間高原レースでは1〜4位を独占。まさに衝撃のデビューを飾った。
目黒製作所 メグロZ7スタミナ 1956 年
白バイにも採用されていたZ6がフレームクッション採用のスイングアームとなりZ7に進化。愛称を一般公募し、19万1909通の応募から「スタミナ」が選ばれた。
八木軽車両製作所 サンヨー 1956
サンヨーの56年型は左足のみで前後輪の制動が可能なユニークな機構を搭載。2スト125ccのロータリー号も56年からラインアップしている。
モナーク モナークSP1 1956 年
250cc以下の軽2輪では最も早く4段ミッションを採用したモナークは、加速や登坂力に定評があった。SP1は1万rpmまで回る高性能エンジンを搭載した。
※諸元の並び順●エンジン形式●総排気量●最高出力●最大トルク●車両重量●前・後タイヤサイズ●価格(発売当時)