※この記事は月刊オートバイ2011年8月号別冊付録を加筆、修正、写真変更などの再編集を施しており、一部に当時の記述をそのまま生かしてある部分があります。
カワサキ「Z400FX」誕生の歴史
バイク少年たちの夢を叶えた唯一無二、最強の4気筒400cc
1980年初頭、ナナハンに乗る大型免許の取得は非常に難しく、合格率は5%、平均受験回数は30回という「まことしやかな噂」が流れていた。
大型免許とはつまり、自動二輪「中型限定」を解除することで、現在のように限定解除のための公認(実技試験が免除される)教習所はなく、受験者はいつも、受験回数をこなして、当たって砕けろの連続を覚悟して試験に挑むしかなかった。
月刊『オートバイ』の79年4月号では「大型二輪の技能試験合格率は6〜7%。実際はもう少し上かもしれないが、(免許区分改正の)昭和50年10月からの3年間で、全国で約1万人のナナハンライダーが誕生した」と記されている。なるほど、大型二輪免許の取得はかなりの狭き門だったようだ。
そのため、この頃のオートバイ市場は、大型車を横目に見ながらの中型モデル全盛期。自動二輪免許が中型と大型に区分けされた75年秋頃には、まずホンダCB400FOUR(ヨンフォア)とスズキGT380(サンパチ)が人気を二分していた。
この頃の400ccといえば、性能やルックスはもちろん、ナナハンに負けない豪華装備や、ナナハン並みの堂々とした車格も求められ、そこにマッチしたモデルが、ヨンフォアやサンパチだったわけだ。
しかし、ヨンフォアはコスト高を理由に77年頃に生産が終了し、かわって2気筒のホークⅡが登場。サンパチはスズキの4スト化の時代にあって、これも2気筒のGS400にとってかわられた。CB750をはじめとするナナハンと同じ「憧れの4気筒」は、中型免許では乗れなくなってしまったのだ。
この声に呼応したのか、ドンピシャのタイミングで発売されたのがZ400FXだった。カワサキは80年代へ向けて、Zシリーズ第2世代のラインアップ強化を図っており、初代フラッグシップZ1時代からの世代交代が進んでいた。
イギリス連邦・マルタ島での発表会では、水冷6気筒のZ1300を始めとした「ニューZ」がお披露目され、そこに新世代Zが勢ぞろいしていたのだ。Z1の後継はZ1000MKⅡ、国内にはZ750FX、Z250FTが登場。そして、新たに輸出専用にZ500が発表された。リッター100馬力を目前としたスプリンター、Z650に続く、このニューミドルZこそが、国内市場へのZ400FX登場の布石だった。
Z400FXの国内販売は79年4月。Z500と同じくDOHCヘッドを持つ4気筒エンジンを搭載し、この時点で国内唯一の400ccマルチとして人気が爆発した。ヨンフォアが直面したコスト高は、輸出用500とのパーツ共有で乗り切り、オーバーに言えば国内ファンの夢をかなえたオートバイだった。
前後ディスクブレーキさえ驚愕の装備とされ、出力も、それまで最強を誇っていたホークⅡの40馬力を越え、国産400cc最強の座を手にしたFXは、結果として国内400ccクラスの4気筒化の先陣を切った。
FXの後を追って80年にはヤマハがXJを発売し、翌81年には春にスズキがGSX、そして秋にはホンダがCBXを発売する。これで、国内4メーカーは400ccすべてに4気筒モデルをラインアップすることになり、時代は空前のバイクブームに突入する。
この400ccウォーズは登場時期の違いもあって、結果としてCBXが制することになるが、サーキット性能やスポーツバイクの本質に迫ったCBXより2年も古い、重く大きなFXも人気をキープし続けた。
速いだけがオートバイではない――それを証明した「男カワサキ」の出発点だったのかもしれない。