まとめ:オートバイ編集部/写真:折原弘之、南 孝幸、森 浩輔/撮影協力:バイカーズパラダイス南箱根
250ccバイクの歴史
オートバイの種類の中でも、道路運送車両法で「軽二輪」に区分される126〜250ccのモデル。普通二輪免許で運転できて、251cc以上の「小型二輪」で義務付けられている車検がないことで、維持費が安く抑えられるのも人気の一因だ。
ちょっと歴史をおさらいしておくと、1975年に「自動二輪」が400ccを境に「中型」と「大型」に分けられて以来、大型車に乗れる免許(=普通二輪大型限定免許)が取りにくいことから、中型車=400ccの需要が急増。1970年代は400ccの手軽なバージョン、または廉価版の兄弟車として誕生したのが250ccモデル。
それが1980年前後に、ホンダXL250SやカワサキZ250FT、スズキRG250が登場し、250ccならではの軽量コンパクトさをセールスポイントにするモデルが出現。とどめはヤマハRZ250で、ここから主に2ストロークモデルによる250ccブームが出来上がってきたのだ。
それからしばらく、レーサーレプリカといえば2スト250cc、という時代が続き、4スト4気筒250ccなんて、現代のニンジャZX-25Rの始祖ともいえる贅沢なモデルもラインアップ。この、排気量いっぱいの高効率高出力を狙ったモデルは、いずれも排気ガス&騒音規制をクリアできず、徐々に姿を消していく。
最初の二輪車排気ガス規制は98年。06年に規制が強化され、規制発効の1年後ごろが二輪車全体に受難の時代。特に250ccは新規モデルもなく、だんだんラインアップ数自体も減少していたところに発売されたのがカワサキのニンジャ250Rだった。
久々のブランニューモデル、しかも水冷2気筒エンジン搭載のスポーツルックなフルカウルモデルを、海外生産して価格を抑える、という方程式を確立し、これで日本の250ccスポーツは息を吹き返したと言っていい。
この方程式に沿ってホンダもスズキもヤマハも250ccスポーツを発売し、250ccモデルのマーケットも完全に復活。07年に8万台規模だった250ccモデルの販売台数は、駐車違反の取り締まりが強化され、世界的リーマンショックと東日本大震災が起こって4万台レベルまで落ち込んでしまったものの、そこから息を吹き返して20年には7万4500台といったラインまで復活! 特に17年からは、毎年前年比プラスの市場成長を見せるまでになった。
ニンジャ250R発売からのスクーターをのぞくベストセラーモデルの変遷を見ていくと、ニンジャ250R/ニンジャ250、YZF-R25/MT-25、そして現在はレブル250が3年連続ベストセラーを勝ち獲って、21年も上半期はレブルがランキングトップを快走している。
4年連続ベストセラー目前のレブルの牙城を崩すのは、4気筒モデルのニンジャZX-25Rか、YZF-R25の返り咲きか、はたまたこれから出てくるまったくのニューモデルだろうか。