【エッセイ】「日が悪い」(文・絵:東本昌平)
昼近くまで、バイクを洗車したりながめたりでぐずぐずすると、春の甘いかおりに誘われて外に出る。
平日だが、なんとなく道はすいている。体が慣れるまでゆっくりと流すのだが、幹線道路に出ても、まだ行く先が決まらない。
信号待ちをしていて、5~6台うしろで白バイが札をあずけにきているのに気がついた。
「札をあずける」とは、違反をするだろうと目をつけられる、という隠語で、「札をとりに来る」は、つかまえる、という意味である。もちろんあずけっぱなしという場合もある。
このぶんだと、この先だいぶ出張って店開きをしているにちがいない。クワバラクワバラである。気づかれたと見るや、白バイは横にそれて行く。
「こりゃ今日一日、目はねェな。日が悪りィや」
かと言って、引き返すのもシャクである。
ハンドルを南に向けたものの、前を見るより、バックミラーで後ろを見っぱなしの運転だ。
案の定2ヶ所でネズミ捕り、三京の料金所前では、覆面パトカーが入れかわりたちかわり、客をさばいていく。
「とんだかき入れ時だぜ、まったくかわいげがねえや」
この歳になると、拗ねもしなきゃ腹もたたないが、「つぎは我身よ」である。
おかげで、倍疲れるものの、半分も進まない。こうなると、幹線道路より裏道をつないで行ったほうが楽しく走れる。
裏街道から住宅地を抜け、鎌倉山を駆け上がる。くねくねと細い道から江ノ電をまたぐと海に出る。
海岸沿いにあるその店に着いたときには、あけたばかりなのかマスターひとりだった。
「コーヒーを」
マスターはうなづいて、カウンターに入る。
「今年に入ってから、はじめてじゃない?」
ニコニコとコーヒーを落としながらマスターがきく。
「うーん、そうなるかなあ」
店の前に広がる海は穏やかで、波のくる気配もないのにサーファーがひとり浮かんでいる。
近年、海の家を建てられないほど砂浜が減少して、海が道までせまっている。
その道をクルマとバイクがゆっくりと通りすぎる。
うまいコーヒーが、運転で張りつめた神経をほぐしてゆくのがわかる。
「B吉とは昔からのつき合いなんだってェ!?」
「アイツどうしてる?」
「うん、毎週来てるよ」
「そう…」
「この夏、里に帰るらしいよ」
「うん」
「B吉の郷里に行ったことあるの?」
「ははっ、若い頃いっしょにね、バイクで4日がかりでたどりつく珍道中さ」
「ああ、あの話ね。B吉も今までで一番のツーリングだったって言ってたな」
「………。」
時計はいつのまにか4時をまわろうとしている。
「じゃ」
「えっ。もう帰るの?」
「うん、ちょっと早めに帰ろうと思って」
と、コーヒー代をカウンターに置いて、ヘルメットを持つ。
「ふーん、陽が落ちると寒くなるからねェ」
「いや、道が渋滞する前にね、ほら5時を過ぎると、どこもかしこも大変だから」
「はは、そうだね。それだけ防寒してれば、寒くないもんねェ」
「夕陽とどっちがはやい?」
「えっ?」
「今からだと、夕陽が沈む前に着く?」
「東京まで?」
ふりむくと、マスターはニコニコしている。
「このバイクだと、そんなにかからないか」
「うーん、ちょうど沈んだ頃じゃないかな」
今日は日が悪いんでね…。
それでも走りだすと、マスターの言葉がよぎって、夕陽と競争したくなる。
とってかえして高速に上がると、降りてきた夕陽がうしろからミラーをのぞきこんでいた。
初出:『東本昌平RIDE10』(2008年3月15日発行)
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