【エッセイ】「男と女」(文・絵:東本昌平)
若い頃は、朝5時に出発して夜9時か10時頃まで、もう眠くてこれ以上走れんというまで走りつづけて、そのまま道端で野宿をして、また朝5時から走りだすというツーリングを、野郎どもとつづけていた。
一日でどれだけ走りまわれるか、どれだけ距離をかせげるか、ただそれだけだった。そして、どこへ行ってもカツ丼ばかりを食べていた。
観光も地域交流もあったもんじゃない。日本全国をぐるぐる何周しても、もはや旅ですらなくなっている。そんなバカバカしくも楽しいツーリングも、カミさんとバイクで北海道に行ったことで、終わりをむかえる。
まだサロベツが寒冷地舗装になる前だった頃。東京を出て三日目。大阪は富田林経由で日本海側を上がり、やっと函館に上陸した。 俺は、さて何周してやろうか、三周はかるくまわれるだろうと考えていると、一般道とはいえ、カミさんはグズグズと進まない。聞くと、カミさんには、いろいろと見たり聞いたり食べたり買ったりの予定があるというのだ。
「ふざけるな。」……である。
バイクは走ってナンボだ。こんなの一日だぞ一日! それを三日もかけやがってェ。一日三回も食事するから前に進まないのだ。景色なんざ走りながら見るものだ。わざわざ止まって見るんだったら、写真でも見ていればいい。こっちはガソリン入れている時間だってもったいないというのにィ。スタンドのおやじに「5分走ってりゃどんだけ進むと思ってんだあ!!」とどなったのは一回や二回ではない。
「バイクにはなんのためにスピードメーターがついていると思ってんだァ!!」とまくしたてたものの、カミさんはガンとして聞き入れない。「あら、カツ丼だっていろいろあるのよ」というではないか。
「うーむ、さすがに京都のカツ丼はちがった」じゃなくてカツ丼のはなしをしているのではない。とにかく、名物にうまいもの無しというではないか。カニだウニ丼だ、ワイン城に寄りたいだの、砂金を掘りたいなどは、もってのほかだ。
夫婦仲よく二人でツーリングのはずが、とんだ見当ちがいで、いまや夫婦の危機である。もちろん別行動という手もあったのだが、キャンプ道具や、簡単に分割できない共用するものがあって、ふたりでひとつは割安で不便なものだと、なるほどこれが夫婦かーっ、と思い知らされる。
カミさんもややバテていたのか、決定的だったのは「だってつまんない」のひと言だった。このとき俺の青春がポッキリ音をたてて、折れてしまった。
そうなると、すべてがカミさんペースであるが、朝5時半にやっている店などない。
「……。」いっぺん東京に帰って泣きたいくらい食事の時間が長くなる。北海道に上陸して二日がたっても、一周すらできていない。いや、道央にもたどりついていなかった。
小樽で、オルゴールだガラスだと3時間もひきずりまわされて、「俺はいったいなにをしているのだ。そしておまえはいったいなにをしたいのだ?」とうつろな目をして通りかかった余市の、いつもなら素通りするすし屋に、カミさんの「食べよっかァ」で入ってしまった。ついにその時、歴史が動いた。
その安くておいしいこと!
はいはい、ほかにもおいしいお店はあるでしょうが、旅先でおいしいものに出会うヨロコビを知るという、私の価値観をかえるには十分過ぎた。
年齢をかさねた分、舌もいやしく肥えてゆき、知ることの罪も深いと思うが、おいしいものは、ただ売っているものだけでは手に入らない。旅先で、知らなかった土地や人にそっとふれつつ、時間をかけて手に入ったり口に入ったりしてくる。そのような出会いは、ながくつづくようで、目に見えないものを、多くいただいているようだ。
知ることは、走り方にもあらわれる。
じゃ、旅先で。
初出:『東本昌平RIDE11』(2008年4月15日発行)
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