※本企画はHeritage&Legends 2021年7月号に掲載された記事を再編集したものです。
空冷と水冷の構造を検討し導き出された方式、油冷
スズキ4ストロークモデルは、ルーツとなる直4のGS750を発展させたGS1000がAMAスーパーバイクや鈴鹿8耐で活躍。’82年のル・マン24時間耐久レースでヨシムラ・スズキGS1000Rが優勝したことで、大きく信頼性と人気を高めていた。
折りしもバイク界には一大進化の波が起き、市販車の性能向上がユーザーからも求められ、メーカーもそれに応えるべく動いてきた。
当時、世界GP参戦でメーカータイトルを7年連続で獲得したスズキはGSX-R750の開発を始める’84年にはファクトリー参戦を中止。ただ、レースで得た“軽量コンパクトで部品点数を減らし、美しく”というコンセプトを市販車に反映するという手法を確立しつつあった。ユーザーはレースに憧れる。それは勝ち負けでなく、思いのままに動く車両で操る楽しさを得ることだと骨子を決める。
乾燥重量176kg、出力100psと、従前から2割超の重量減と1割の出力増が目標値に掲げられる。出力そのものは空冷でも達成出来るが、その後レーサーに仕立てた際に130~140ps化すると熱負荷が高く、耐久性に問題が出てくる。水冷ならば熱負荷は安定し、持続性が高い。だが、補機類も含めて軽量化は難しい。試算では180kgが限界だった。
その時に、横内悦夫さんを中心とした開発チームは大戦時の米軍機、P51マスタングが“液冷”だったことを思い出す。実際には水冷だったのだが、液体を考えた時に「エンジンオイルがある」と、オイル=油を積極利用すると決める。水冷のようなオイルジャケット案などを経て、シリンダーヘッド上面、一番熱を持つ燃焼室の裏側に、ただ流すのでなくジェット噴射で多くのオイルを流すことを考案する。動いていないオイル(熱境界層)は熱伝達を阻む。それを壊すようにして、積極的に熱を奪うようにした。
補機類もオイルクーラーがあれば良く、これも従来比4倍という8000kcal/hの放熱量を確保し、油温は20~25℃下げられる。耐久性が得られるから、駄肉がより削れる。このことでエンジンは15%軽量化され、出力も十分なものとなる。ここに油冷エンジンが完成し、同じコンセプトで作られたアルミフレームに積まれて、GSX-R750が誕生した。
油冷エンジンはスプリントや耐久レース等で存分に活躍し、大きな支持を得る。そこにも、シンプルさや軽量コンパクトという素性が生きた。ただ、レースベースとしては求められる出力など競争力強化の必要から、中心としての位置は水冷エンジン(GSX-R750は1993年M型から、GSX-R1100は1994年P型から)に譲ることになる。
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GSX-R SERIES/水冷より簡素で軽く空冷より強くを油冷で実現
油冷開発時には通常の基準よりも過酷な条件を設定して、わざとエンジンやフレームを壊すテストを繰り返した。その結果壊れた箇所とそうでない箇所を見分け、強度を均一化して軽量化を達成。一方で’83年RG250Γで市販車に適用されたアルミフレームもGSX-R750のテーマとされ、“グレードの高い車両をより多くのユーザーに提供しよう”という信念から価格も抑えるべく、構成部品点数を96点から26点に減らし、組み立て工程も短縮した。テスト基準も新たにされ、後のスズキ車開発にも生かされた。GSX-R750は成功しすぐ1100も加わり、“GSX-R”は以後のスズキ・トップスポーツの代名詞となる。
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〈GSX-R750〉
1985 GSX-R750(F)
’84年ケルンショーで発表された初代GSX-R750。油冷エンジンにフラットスライドVM29キャブ、4-1EXを組み合わせて100ps(国内77ps)を発揮、乾燥重量は179kg。フレームはMR-ALBOXでφ41mmフォークやフルフローターサス等、今でも通用する装備を持ち、TTF-1でも活躍した。
1986 GSX-R750R(G)
’86年には乾式クラッチやFRPシングルシートカウルを追加した限定車R750Rが登場。
1988 GSX-R750(J)
’88年型JでR750は初のフルチェンジを行い、エンジンはショートストローク化し前後17インチ化。
1989 GSX-R750R(K)
’89年K型ではボア×ストロークを戻し、これを元にしたレース認可用限定車GSX-R750R(K、通称RK)が世界限定500台で追加される。
1991 GSX-R750(M)
’90年型LではホイールなどがRK同様の仕様になり、750cc市販車初の倒立フォーク(φ41mm)を採用。’91年型Mでは2→1バルブ1ロッカーアーム化し、’90年のワークスTTF-1車同型ポート採用等シリンダーヘッドを変更、ピストンも軽量化など、エンジンに大きな変更が入る。スラントカウルも新採用するが、これが油冷R750最終となり、’92年型Nで水冷化する。
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〈GSX-R1100〉
1986 GSX-R1100(G)
GSX-R750の1年後に、R750が提示した軽量・コンパクト・高出力パッケージをそのままオーバーリッタークラスにも投入して登場したのがGSX-R1100。R750からボア×ストロークとも拡大したφ70×48.7→φ76×58mmの1052ccエンジンは130psを発揮し、BS34キャブとともにR750を元に強化したフレームに積んで乾燥200kg切りの197kgと破格の性能を得た。
1989 GSX-R1100(K)
R1100は4年目の’89年型Kで初のフルチェンジ。1127cc化し搭載位置も12mm下げ、キャブもBST36とし排気も左右出しに。フレームはスムージング部材で強度を25%向上。前後17インチ化もここで行った。
1991 GSX-R1100(M)
’90年型Lでフロントフォークを倒立(φ41mm)化し、次の’91年型Mで2度目のフルチェンジ、GT色を強める。エンジンは2→1バルブ1ロッカー化、キャブもBST40にされMAX140ps。外観もスラント化しヘッドライト前面にクリアカバーを追加、テールも2灯化する。この頃には乾燥246kgと重くなっていた。
1992 GSX-R1100(N)
’92年型Nは油冷R1100の最終型となる。
この表は油冷GSX-Rの主要機種のスペックや特徴と推移だ。25年超に及んだ油冷エンジンの歴史、その前半はここまでにも記したようにレースベース/レプリカであるGSX-R1100/750の進化と改良にともなうもので、油冷はそのままハイパフォーマンスエンジンとして位置づけされていた。当時のバイク環境=素材や精度、製作技術等から考えれば、水冷エンジンも十分上回れたのだ。同時にその時点で“よりハイパワー化すれば水冷有利”は開発陣にも見えていた(市販時点では既に次のことが考えられていた)。このことによって油冷は進化を遂げつつ、スズキが水冷を作る際の参考にもされ、高質な水冷に移り変われたのだ。なお1100の開発については横内さんも“750でさんざんやったから、リッターあたり出力では楽で、スムーズに作れました”とも2008年当時に語ってくださった。なお“油冷”の語は横内さんが運輸省(現国土交通省)への認可の際に、社内での実験同様の冷却実践を見せて油冷として申請(61%がオイル、残りが空冷となった)、認可が下りて正式にカタログ等でも謳った正当なものである。