文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事はウェブサイト「ロレンス」で2024年10月24日に公開されたものを一部編集し転載しています。
点火の間隔を近接させることのメリットは、「時間稼ぎ」ができることです?
1980年代半ばの時代のロードレース世界選手権(現MotoGP)の最高峰クラスでは、排気量500ccの水冷2ストローク4気筒のエンジンが主流でした。この時代、最も激しいライバル関係にあったのはヤマハとホンダであり、ヤマハは2軸クランクシャフトのV4のYZR500、ホンダは1軸クランクシャフトV4のNSR500を用意していました。
当時はパワーのホンダ、ハンドリングのヤマハという言葉がよく使われていましたが、ヤマハのコーナーでの優位性はより早くコーナー立ち上がりでスロットルを開けることができた点でした。当時のホンダは90度間隔の点火を採用していたのですが、コーナー脱出時にNSR500ライダーがYZR500ライダーと同じタイミングでスロットルを開けると、NSR500はリアが滑り出してスロットルを戻さざるを得ないというシーンが多かったです(そして、その結果としてのハイサイドも・・・)。
一方ヤマハYZR500は、位相180度の等間隔2気筒同時爆発を採用していました。まずホンダは1軸クランクシャフトのままライバルと同じ「方式」を試し、ライダーたちから高評価を得ます。そしてさらにライバルを上回るための「間隔」を追求し、68度のなかで4気筒すべてを点火させる、不等間隔近接爆発・・・ビッグバンに至りました。
90度等間隔よりも、不等間隔のビッグバンの方がコーナー脱出時にスロットルが開けやすい理由は、非常にわかりやすいものです。静止摩擦力や動摩擦力は高校物理で習いますが理系を選択しなかった場合でも、「床に置いた重い箱を動かして床の上で滑らす」シチュエーションを頭のなかで想像すれば、静止摩擦力が動摩擦力より大きいことがわかるでしょう。
箱を動かすのに必要な力は、箱が動き出してから滑らせ続けるために必要な力より大きいです。駆動力を受けたバイクのリアタイヤは過大なトルクがかかるとグリップが低下し、スリップまたはスライドします。ビッグバンはリアタイヤのグリップを回復させるための「時間」を、292度の長めの間隔によって提供してくれるのです。
そしてグリップを回復したあと、ビッグバンは68度以内という狭めの範囲のなかで4気筒がすべて爆発して大きなトルクを出すわけですが、90度等間隔で1つ1つの気筒を爆発させていた従来型のNSR500は、ビッグバンのようにグリップが回復するまでの「時間稼ぎ」ができず、スロットルを開けにくいキャラクターになっていたのです。
ツイングルという言葉はかなり前の時代からありますが?
開けやすいスロットルを求めての不等間隔近接爆発のアイデアは、1990年代に初めて生まれたわけではありません。1980年代にはハーレーダビットソンのファクトリーチームを皮切りに、「ツイングル」という不等間隔近接爆発をダートトラックで試し、成功をおさめていたのです。
WELCOME RACE FANS!! の書き出しでお馴染み? のロレンス人気連載企画である「Flat Track Friday」でも、ハーレーダビットソンの生み出した名機、XR750の話題は何度も取り上げていますが、改めてXR750はどんなモデルなのかを説明いたします。
1970年に誕生したXR750は、OHVの動弁系が与えられたVツイン750ccを搭載する、アメリカのGNC(グランド ナショナル チャンピオンシップ)を主戦場としたレーシングモデルです。1972年型からは全アルミ合金製エンジンにモデルチェンジしますが、その後はエンジンの基本設計を大きく変えることなく半世紀以上!! も使われ続けた、史上最も長生きだった市販レーサーです。
デビュー年の1970年からXR750プロジェクトに関わり、ハーレーダビットソンのレース部門に多大な貢献をした名チューナーのビル ワーナーは、ロードレースのアスファルト路面よりもはるかに滑りやすいダートトラックコースで、最大のトラクションとライダーにフレンドリーな扱いやすさを求めて、4ストロークVツインのXR750エンジンで不等間隔近接爆発を試しました。
スタンダードのXR750は、45度のVバンク角で315-405度の不等間隔爆発という仕様になっています。ワーナーはこれを45-675度という「近接」に変更し、リアタイヤがグリップを回復するための時間を稼ぐことを考えたのです。
「ツイングル」と名付けられた不等間隔近接爆発仕様のXR750は、スタンダードXR750よりもスピード感が薄れ、高回転域の排気音が穏やかに感じられるようになっていました。ワーナーはこれを単気筒と2気筒の違いのようなもの・・・と表現しました。ツイングル・・・Twingleとはつまり、Twin(2気筒)とSingle(単気筒)の合成語で、2気筒を単気筒的な性格にすることを意味しています。
なおツイングルという言葉は、このときに初めて生まれた言葉ではありません。オーストリアのプフは、2つのピストンと共用の燃焼室を持つ2ストロークのスプリットシングルエンジンを、ツイングルという名称でアピールしていました。
プフのツイングルは構造的な意味なのに対し、XR750に採用されたツイングルは性質的な意味になっているわけです。Twingling(ツイングリング)という語は、2気筒をツイングル化する行為を意味しており、ハーレーダビットソンのファクトリーチームが持ち込んだこの技術は、プライベーターの立場でXR750に接するユーザーたちにも波及していくことになります。
ツイングル仕様のXR750は滑りやすい路面のトラックではその強みを発揮し、スロットルを開けることを怖がる「臆病なライダー」たちから絶賛されました。なぜなら彼らにとって、ツイングル仕様XR750はスタンダードXR750より、速く走らせることができるマシンに仕上がっていたからです。
不等間隔近接爆発の最大のウィークポイントは?
リアタイヤのグリップが回復しやすく、スロットルが開けやすいというメリットがあるビッグバンとツイングルですが、私たちが日頃接する市販車に採用された例はありません。採用されることのない最大の理由は、不等間隔近接爆発の耐久性の問題ゆえでしょう。
主戦場は違えど、レーシングモデルであるホンダNSR500とハーレーダビットソンXR750は、ともに駆動系に出力ロスにつながるショックアブソーバーを持っていません。ビッグバンもツイングルもトルクを均一にではなく、狭い範囲のなかで一気にドーン!!と与える仕様のため、駆動系に与えるダメージがとても大きくなってしまいます。
90度等間隔だった時代に比べ、ビッグバン仕様NSR500はクラッチまわりの交換サイクルがだいぶ短くなっていたそうです。またツイングル仕様XR750は、クランクシャフトなどの交換サイクルがスタンダードXR750よりやはり短くなっていました・・・。
ファクトリーチームだけでなく、プライベーターの多くが扱うことになったXR750の場合、部品交換サイクルの短さは無視できない負担としてやがて問題視されることになりました。そして2006年を限りに、AMAはツイングリングを禁止する新ルールを施行することになりました。
スロットルの開けやすさやリアタイヤのグリップ回復については、今は21世紀になってから普及したトラクションコントロールなどのライダーエイド技術がもっぱら担っています。ただ、エンジンのメカニカルな諸元で乗りやすさを生み出している、不等間隔近接爆発の乗り味を試してみたいなぁ・・・と思う人は私だけではないと思います。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)