文:インタビュー・濱矢文夫/写真:鈴木広一郎/試乗インプレ:山口銀次郎/撮影協力:パワービルダー、モグラハウス
インタビュー|筑波を57秒で駆ける“#29 ピンクニンジャ”
速く走るニンジャへのこだわり
最速のニンジャ──その称号が最もしっくりくる。鉄フレームだったら基本的になんでもありのテイスト・オブ・ツクバで最速で象徴的なクラスであるハーキュリーズで戦うために存在するGPZ900レーサーに与えられしもの。ショップ『パワービルダー』代表の針替伸明氏が製作したそのマシンは卓越したライダーの力と合わせて筑波サーキットを57秒台で周回する実力を持つ。“GPZ900R”と“57秒台”というにわかに信じられないような組み合わせ。夢ではなく事実という恐ろしく速いニンジャには畏敬の念しかない。
やはり気のなるのはそこにいたるまでの道だ。針替さんが速さを追求して20年以上一喜一憂しながらニンジャをモディファイしてきた物語がある。それはGPZ900Rのオーナーとしてユーザーグループに関わっていたところから話はスタートする。
「鈴鹿8耐のXフォーミュラディビジョン2クラスにGPZ900Rが出られるらしいよってことで、じゃあみんなの部品を集めてレーサーを作って出ようぜって話になったんですよ。8耐なんて走ったことがない素人が国際レースに挑むわけですから、走れば部品がはずれたり無様な参戦をしたんです。天候にも恵まれず結果的に予選を通過することができませんでした。そのときにつけていたのが、今も使っているゼッケン29なんです。冗談で肉好きだから29なんて言ってますが、もうこんな惨めなレースをしないよう自分を戒めるための意味があります」
90年代後半とはいえGPZ900Rが市販されたのは1984年だからこの時点で15年前に登場した前時代のバイク。最新機種をベースにした車輌がひしめく中で大きな風車に突進したドン・キホーテだったのは間違いない。
オーナーズクラブの有志が集まってGPZ1000RXのエンジンをベースに半年くらいで仕上げたロシナンテで鈴鹿8耐に挑戦した針替さんはまだ現在のショップを始める前だった。パワービルダーを始めたのは2001年。
4輪チューニングの豊富なノウハウを持っていたことから同じ時期にBNR32型GT-RのRB26DETTエンジン用タービンを1つ使い、230PS以上発揮したGPZ900ターボも作っている。ニンジャを速くすることへの強い信念を持っていた。
「素人からお店をやっていこうとなったときにはもうエンジンのチューニングばかりをやっていたから“パワービルダー”にしました。以前からテイスト・オブ・フリーランス(テイスト・オブ・ツクバの前身)に出ていたんですが、この頃はセットアップなんて知らないわけですよ。自分で作ったエンジンだけは裏付けのない自信はありましたが、パワーが出ていれば勝てるはずだと(笑)そうやって何年かやっていくと速くするためにハンドリングの重要性を痛感するわけです。1分3秒くらいのタイムで行き詰まってしまった。それで足まわりのセッティング、車体、エンジンのパワーデリバリーとか突き詰めるようになりました。レースが終わったら修正点、反省点をみつけて次のレースは周回アベレージでコンマ5秒短縮しようと考える。そうやって20年やってきたら敵がいなくなって連勝するようになり、57秒で走れるようになっていたんです」
57秒を出してもさらに上をめざす
ショップ内に飾られた優勝の盾は2001年のFゼロクラスがいちばん古かった。針替さんはこれまでの道のりをあっさりと言ったけれど、その裏にはとてつもない苦労をともなった研鑽の日々があったに違いない。具体的な進化の過程を知りたい。
「FゼロエクストラのときはGPZ1100のエンジンを積んで160~170PSくらいは出ていましたかね。ハーキュリーズのニンジャはZRX1200のエンジンをベースにチューニングして、車体は鉄ダイヤモンドフレームにアンダーフレームを新設したり補強してキャスターを立てた。そうすると剛性が出て、パワーオン時やターンインの特性などは良くなって速くはなったけれど、とてもクイックすぎて動きがトリッキーで山根(山根光宏選手)スペシャルになっちゃった。ストレートで手放しできないんですよ。その時期は1分0秒、59秒に入ってきて、そのタイムだとオンザレールで曲がれるけど、そこから少しタイムを落とすとオーバーランしたくらいでした。優勝して山根が立ち上がってガッツポーズするとマシンがフラフラしちゃう。筑波サーキットって結局エンジンパワーだけじゃどうにもならないじゃないですか」
そこから思い通りに曲がってパワーをかけられるニンジャにするために掘り下げていった。そのカギとなったのはコーナー立ち上がりで重要なトラクションを左右するリアサスペンションのリンクだ。理想を求めて試行錯誤。
「ニンジャの純正リンクってタンデムも考慮したもので、車高を上げてモディファイしていくとうまく動かなくなってしまいました。最初のステップはGPZ1100のリンクを使い、ステップ2としてZX-14Rのリンクを使いました。それでも十分な効果はありましたが、結局徹底的に考えてワンオフ製作を選択しました」
A点、B点、C点の位置とショックの傾き、位置をかんがみてリンクのモックアップをチーム員と共に作りスプリングを取り外したショックに取り付ける。自家製のストロークセンサーを製作し、ショックが何mm動いたときにアクスルエンドでは何mm動くなどその相関値をエクセルに打ち込んで比較する。そこから良さそうなのを選択し、アルミ削り出しで作り実走テスト。
「160PS以上になるとトラクションとの勝負ですよ。作ってテストして、また作ってテスト。リンクロッドの長さや初期の姿勢、スプリングのレートなどあれこれ時間をかけてタイムを詰めてきました。商売にはならないんですけどね……。それをライダーのフィーリングだけに頼らず数値化するために各種動きを知るためのセンサーロガーを導入しました。57秒台に入る前でしたかね。実際に走っていている際にバイクにどういうことがおこっているかを知ることができる。昔のニンジャレーサーが走っている動画を見ると筑波の最終コーナーをウネウネとヨレながら立ち上がっていたんですが今のはそうならないからアクセルを開けられる。フロントも荷重が抜けないバネと減衰を追求しました。エンジンは高回転型ではなく低回転から全域でフラットにトルクが出るような特性です。当然、パワーは出しています。最高出力は202馬力、最大トルクは14.2Nmながらも誰でも乗りやすく感じられるようようになっていますよ」
エンジンの話も深くてそこを含めるとここに文字を収めるスペースが足りないくらいだ。積み重ねてきた歴史の情報は問えば問うほどあふれてくる。最後に誰もが知りたいであろうことを聞いた。なぜそこまでGPZ900Rニンジャにこだわるのか。
「別に特別カワサキ好きってことはないんですよ。月並みですがやっぱりニンジャが好きなだけです。いろいろやってきましたが楽しいんです。だから次はさらに上の56秒台を目指します」