文:中村浩史/写真:折原弘之
スズキ「ハヤブサ」とメガスポーツバイクの歴史
軽々とワインディングを舞う大型猛禽類が登場した
ハヤブサと出会って、もう25年が経つのか、と感慨深い――。
それが、2023年6月に発表されたオレンジ×ブラックの「25周年記念限定車」。このオレンジは、2型のカラーのオマージュ。やはりハヤブサといえば、初期モデルのハヤブサベージュと呼ばれるブラウンシルバーやブルー×シルバーが印象深いのに、意外なチョイスだ。
ハヤブサがデビューした1999年は、大型モデル、それも「メガスポーツ」と呼ばれる、最高速度300km/hまでを視野に入れたフラッグシップモデルが人気だったころだ。
このセグメントの先駆者は、カワサキ。1990年登場のZZ-R1100はスピードメーターに「300km/h」の数字を刻み、もちろんそんなスピードはごく限られた条件でしか挑戦できないんだけれど「サンビャッキロ」という、バイク乗りのおぼろげだった夢への扉を開いたオートバイだった。
打倒ZZ-Rを狙うホンダの刺客は、1996年登場のCBR1100XXスーパーブラックバード。スーパースポーツは900ccあたりがリミット、それより大排気量はロングツーリングに特化していたホンダの打倒ZZ-R。エンジン、フレーム、サスペンション、そしてフルカウルと、当時のホンダの最先端技術を注入した、1137cc/164PSのメガスポーツ。
そして、このZZ-R対スーパーブラックバードの戦いに参入したのがハヤブサだった。ZZ-RよりもXXよりも低く長く見え、ぬめりとした有機的なデザインで、スペック的には先発の2車をしのぐ1300cc/175PSのエンジンを搭載していた!
とんでもない時代に入ったな、と思った。1300ccで175馬力? 誰がそんなバイク乗るの?――きっと世界中の反応は、少なからずそんな風だっただろう。一番デカい――けれど実は、先発2車よりも、軽く、ホイールベースも短かった。独特のボディデザインがそう思わせていたのだ。
そして、初めてハヤブサに乗った世界中のライダーは、乗る前までの、自らの勘違いを知ることになる。
ハヤブサは、その名の通り軽やかに、地を「舞う」オートバイだった。大きく見えるボディは、あくまで手の中に入るような扱いやすさで、大陸弾道直線番長を思わせるパッケージは、意外や意外、ワイデンィングをヒラヒラと駆け抜けた。これが、1300ccのバイクのフットワークなのか――?
GSX-R1100よりも長く低くスリムで軽いハヤブサ
ハヤブサの開発スタート時、実はスズキの新しいビッグバイクは1000ccクラスのスポーツバイクを目指していたというのは有名な話だ。
カワサキZX-9R、ホンダCBR900RRと、ライバルの「レーサーレプリカから脱却」したモデルのように、GSX-Rシリーズの大成功からの、もう1ステップ。ヤマハも1998年に、YZF-R1をデビューさせている。
レーサーレプリカの動力性能は言わずもがな、もっとスポーツラン以外も快適に使えるスポーツバイク――そんなカテゴリーだ。
しかし1996年のスーパーブラックバードの出現で、ZZ-RとCBRの世界最速の看板争いも騒がしくなっていた。となればスズキは、スーパースポーツか世界最速か、どちらかひとつを取るというよりも、排気量やカテゴリーにとらわれないスポーツバイクを開発すればいい、ということになる。それが最後の、究極の、という意味を持つ「アルティメット」というコンセプトを持つ新しいスポーツバイクの開発につながっていくのだ。
そしてハヤブサに与えられた排気量はなんと1298cc! 当時のスズキは4気筒オーバー・ナナハンモデルとしてGSX-R1100、GSF&イナズマ1200をラインアップしていたが、そこから一気に排気量アップを果たして登場した。車名はGSX1300R、ペットネームを猛禽の王、ハヤブサと名付けた。
ここでもスズキのこだわりが少し。GSX-R1300ではなく、GSX1300Rとしたことで、決してレーサーレプリカではないビッグスポーツバイクを目指していたのだ。車名の「R」の位置は、スズキのバイクづくりにとって重要な意味を持つのだ。
しかし、特徴的なエアロフォルムと裏腹に、ハヤブサの車体設計は、GSX-Rシリーズの流れを汲む、コンベンショナルな構成となっていた。大排気量エンジンとはいえ、コンパクトに設計された水冷4気筒エンジンにアルミツインスパーフレーム、アルミスイングアームに倒立フォーク、リンク式リアサスペンションなどなど。
当時ラインアップにあったGSX-R1100に比べても、全長が1cm長いだけで、全幅は15mm狭く、全高は75mm低いだけで、車両重量はハヤブサの方が6kgも軽かった。2台を想像しても隣に並べても、ハヤブサの方が長く低く、太く、重いイメージがあるのに、実際はそうではない。
けれど、やはり乗り味はGSX-Rとは大きく異なっていた。GSX-Rも、レーサーレプリカシリーズの頂点モデルだったとはいえ、その性格はロングツーリングバイク。けれどハヤブサはそれよりずっと低く、安定して確実に路面をグリップした。
そして、ハヤブサ最大の武器ともいえるエアロフォルムは、どっしりと車体を地面に押し付け、ライダーを走行風から守ってくれた。それまでのGSX-R1100が風と戦う高速クルージングならば、ハヤブサのそれは、風に守られながら、風に包まれながらの快適さだったのだ。
初めて乗ったハヤブサも、そんな作り手の思いがすごく伝わってくるオートバイだった。もちろん、GSX-Rシリーズより低く長いのは数字以上に感じた。けれどその巨体をどう扱えばいいのか、と迷うほどではなかったのを覚えている。
1300cc/175PSのパワーも、そうと聞かされなければ、なんのことなく扱える力だった。ずっしりと低い位置に重量があり、文字どおり地を這うようにハヤブサは走ったのだ。
力の出方はあくまでもジェントルに、最高速度300km/hオーバーの実力があると聞かされても、トップギア6速の80km/hがまったく苦もなく回ったし、最高速度300km/hというのも、どこからか急に表情を変えるモンスター、というものではなく、6速80km/hからスロットルを開けて行けば、その延長線上に300km/hに達してしまう、というタイプ。
さすがに300km/hは味わったことはないものの、富士スピードウェイの直線で味わった100km/h、150km/hはハナ歌まじり、200km/hでちょっと身をかがめてヘルメットをスクリーンに潜り込ませ、250km/hになってやっと緊張してニーグリップを強める、なんて状況。
高速道路の100km/hクルージングをどこまでも続けていける、そんなオートバイがハヤブサなのだ。
そしてライバルは誰もいなくなった
1999年に発売が開始されたハヤブサは、ほどなく日本にも逆輸入という形で上陸。ZZ-R1100ともスーパーブラックバードとも違うハヤブサは、アッという間に日本のファンを虜にした。超高速クルージングも可能なハイウェイスターでありながらシティランもこなし、1300ccの大排気量も200PSに迫る大馬力も、多少のスキルのあるライダーならば苦もなく扱えるものだったからだ。
このオールマイティさが、ライバルに比べて抜きん出ていたのも、ハヤブサの人気を決定づけたのだろう。
もちろん、ハヤブサの圧倒的な大馬力は、タコメーターの針を6000回転や7000回転までぶち込んで、200km/hといったエリアのスピードでなければ味わえない。それ以下では、まったく普通の乗りやすいオートバイだから。ハヤブサの本当の凄みなんて、ほんのひと握りの人でなければ知りようがなかったのだ。
2008年にはフルモデルチェンジで第二世代へ進化するが、それでもハヤブサはハヤブサ。変わらない超ド級の高速走行性能に、さらにしっとり感が加わったハンドリング。パワーは相変わらず強力だが、非合法のスピードを出しさえしなければ、ハヤブサの凄みは知る由もない。そんな二面性も、ハヤブサの大きな魅力だったと思う。
2014年には日本仕様も正式に販売がスタート。日本仕様は100PSにデチューン、なんて寂しい話はなく、海外仕様そのままのハヤブサが正規販売で日本を走り出した。もちろん、200PS近いオートバイが街のバイクショップで売っているからといって、バイクの事故が激増したなんて話は聞かない。
2021年には現行モデル、第三世代のハヤブサが登場した。前二世代とは違うエアロフォルムに、熟成が尽くされた188PSを発揮する、電子制御で武装された1339ccの水冷4気筒。三代目も、誰がどう見たってハヤブサだ。
第二世代のエンジン/フレームをベースに開発されたとはいえ、第三世代のハヤブサは、第二世代とはややキャラクターを変えられているようだ。
それが、何が何でも世界最速を、200PSを、300km/hを、なんて時代を通り過ぎ、ハヤブサをハヤブサらしく、時勢に合った進化をさせよう、というもの。ハヤブサらしさっていったい何だろうね、そこを突き詰めて行こう、という開発のスタートだった。
もはやライバルはいない。ハヤブサはハヤブサらしく舞えばいい。